エリントンの曲からすでに紹介したものを除いて何曲か紹介。サム・ウッド監督によるマルクス兄弟出演の映画『マルクス一番乗り』(A Day at the Races, 1937) にも出演していたなあ。1949 年に 45 歳でこの世を去った。ということは、ビリー ・ホリデイとほとんど同じ年齢で早逝したのである。
そして、貧しい「オリジナル=コピー」の思考の無意識にまで至る執拗さは、現在ではほとんど忘却されているルース・エティングの曖昧な記憶とは極めて対照的である。ここでも現実をほどよく忘却し、抽象的な固定概念を存続させているのである。実際、ビリー ・ホリデイは単にルース・エティングの歌をカラオケ・マシーンで歌うように同一性にもとづいてコピーした訳ではない。それどころか、エティングの歌い方を「お手本」とせずに新たな歌い方=差異として示したのである。そこでのコピーはとりあえずの口実に過ぎないものである。事態はまったく逆であり、ビリー ・ホリデイが “More Than You Know” を歌ったからこそ、ルース・エティングの “More Than You Know” はかろうじて記憶されるのである。そしてもうひとつ言えるのは、複製技術が大量にコピーして流布させる同一的価値観 (時代の制約を受ける) にもとづく一時的人気など歴史においてはたいした意味はないということである。
ヘントフは、すでに紹介した “Fine and Mellow” のパフォーマンスが含まれている 1957 年 12 月 8 日、東部時間午後 5 時に CBS テレビから放映されていたジャズ・ライブ番組 “The Sound of Jazz” の executive producer の一人でもあった。
20 世紀も押し詰まった 2000 年の米国公共ラジオ放送 (NPR: National Public Radio) のインタビューで、ヘントフはこのライブ放送の想い出を語っている。
このインタビューを聞いてわかったのが (実は先ほどの『ジャズ・イズ』にも同じようなことが書かれている)、このビデオを見て泣いたのは僕だけではないということである。体調が悪かったという Lester Young が Ben Webster の最初のソロを引き取るように立ち上がってテナーを吹き始めたとき、スタジオのコントロール・ルームにいたヘントフを含むスタッフ全員はみな涙していたと語っている。ドゥルーズ=ガタリは蘭の雀蜂への生成変化があり、雀蜂の蘭への生成変化があると書いたが、ここには人間のサックスへの生成変化があり、サックスの人間への生成変化がある。
ビクトル・エリセ監督は、インタビューで『ミツバチのささやき』(El espíritu de la colmena, 1973, 日本公開は 1985) でジェームズ・ホエール監督の『フランケンシュタイン』(Frankenstein, 1931) を見ているあのアナ・トレントの忘れがたい表情に関して、こう語っている。