20 世紀に本格的普及を始めた様々な複製技術にともなうアートをプラトニズムにのっとった「起源=オリジナル」とその「複製=コピー」といった枠組みで括ろうとするならば、米国のポピュラー音楽の場合、ルース・エティング (Ruth Etting) はまさにその「起源」のひとつであると考えることができる。実際、いままでの記事が少しでも明らかにしてきたように、ラジオにも映画にも出演して幅広い人気を獲得し、ギャングとのスキャンダルで世間の注目を浴び、ドリス・デイによってその半生が演じられもしたこの歌手が歌ったヒット曲は、その後のポピュラー音楽の多くのスタンダードとして定着している (この記事の最後にその一部をまとめて再掲した)。
そして、貧しい「オリジナル=コピー」の思考の無意識にまで至る執拗さは、現在ではほとんど忘却されているルース・エティングの曖昧な記憶とは極めて対照的である。ここでも現実をほどよく忘却し、抽象的な固定概念を存続させているのである。実際、ビリー ・ホリデイは単にルース・エティングの歌をカラオケ・マシーンで歌うように同一性にもとづいてコピーした訳ではない。それどころか、エティングの歌い方を「お手本」とせずに新たな歌い方=差異として示したのである。そこでのコピーはとりあえずの口実に過ぎないものである。事態はまったく逆であり、ビリー ・ホリデイが “More Than You Know” を歌ったからこそ、ルース・エティングの “More Than You Know” はかろうじて記憶されるのである。そしてもうひとつ言えるのは、複製技術が大量にコピーして流布させる同一的価値観 (時代の制約を受ける) にもとづく一時的人気など歴史においてはたいした意味はないということである。
※ いまでスタンダード化されているルース・エティングが歌った曲の例 (一部):
Smoke Gets in Your Eyes:
After You’ve Gone:
Love Me or Leave Me:
More Than You Know:
My Man:
I Wished on the Moon:
I’ll Get By:
All of Me:
Body and Soul:
Mean to Me:
I’m Nobody’s Baby:
If I Could Be With You One Hour Tonight:
Everything I Have Is Yours:
Ten Cents a Dance:
Dancin’ in the Moonlight:
Button Up Your Overcoat:
Guilty:
You’re the Cream in my Coffee:
Ramona:
It Had to Be You: