昭和三十年代前半の算数指導についての本を読んでいたら「文章題」——昭和 29 年頃からある言葉らしい——に子どもがどのようにつまずくのかが具体的な経験をもとに書かれていて、なおかつ例示も豊富で読み物としてもとても面白いものだった。他にも面白い部分はあるのだが、このところだけあげておく。
1) 長い文章の中から、数量処理に必要な要件をつかむことが困難であるときつまずく。
2) 短い文章の問題でも用語を吟味しなければつまずく。
例: 「3 人のお友だちと 60 cm のひもを分けたいと思います。1 人いくらずつになるでしょう。」という問題で、「3 人のお友だち」というのは「私と 3 人のお友だち」の計 4 人と理解する必要がある。
※ 同じような問題:「子どもが 12 人でかくれんぼうをしています。やすおさんがおにです。やすおさんは、いま 5 人見つけたところです。まだ何人かくれていますか。」
3) 文章表現が錯綜していて問題場面をつかむことができない場合につまずく。
例: 「みちお君のせいの高さは、はるお君より 2 cm 高いそうです。かずお君のせいの高さは、みちお君のせいの高さは、みちお君よりも 3 cm 高いそうです。かずお君ははるお君よりも何センチメートル高いでしょう。」
4) 経験が十分に伴わないために、その場面を読みとることができない場合につまずく。
例: 戦前のことであるが、「まさお君のお母さんはたるがきにするかきを 35 こちぎって、となりの家に 8 こ上げて、のこりはつけました。なんこつけたでしょう。」という問題を郷里に柿の木がなかった教師が「たるがきに、するがきを」と読んでどうしても意味がわからなかったとある。
5) 算数用語及び基本的関係がよく理解されていないときに、つまずく。
例:「5 月 4 日から本を読みはじめて、5 月 12 日までに、190 ページの本を読みおえたいと思います。1 日平均どれだけ読んだらよいでしょう。」で、「何日から何日まで」の意味を正確に知っており、かつ「平均」の用語、求め方が理解されている必要がある。
6) 条件を整理して行くことができないとき、つまずく。
7) 逆思考をしなければいけないとき、つまずく。
例: 「逆思考」は有名な算数用語。「たま入れをしました。赤組は 30 個入りました。赤組は白組の 2 倍入っています。白組は、いくつ入ったでしょう。」
※ 思うに「逆思考」とは、未知数を x とおいていちいち式変形することに先立って、たとえば部分から全体を求めることは加法、全体から部分を求めることは減法だという (加法・減法の) 統一的な直感を育てることだろう。乗除についても同じことである。A は B の n 倍であるとき A からみれば B は A の 1/n であり (つまり 1/n は n 等分することと表裏一体である)、A の中に B が n 個入るということは式変形によらずとも直感でわかることである。
8) 観点を変えることができないとき、つまずく。
例: 「1 本 6 円のえんぴつを、1 ダース買うと値段はいくらでしょう。」を九九を習ったばかりの子にさせると、 6 円 x 12 が計算できないが、12 本を 2 つに分けて 6 本ずつにすれば計算できる。(注: 最近だと 1 ダースがどういう単位か聞かれることも多いと思う。)
※ 他の例としては「20 個のあめを、私が 4 個多くとるようにして妹と分けるには、どうしたらよいか」という問題は、私のあめと妹のあめに全体を分けるという見方から、全体のあめを、4 個のあめと残りのあめにまず分けるという見方をしてみることが重要である。
9) どんな演算を用いたらよいか、演算の意味を理解していないとき、つまずく。このとき、子どもは無意味な試行をする。
(計算はできても、計算の意味がわからない子はものすごくいるなあ。文章題には「あわせて」「みんなで」「残りは」「いくら多い」などの算法のヒントになる用語がある場合と、直接に算法を指示する用語がなく具体的な過去の経験から算法を選択しなければ場合があり、これらの違いでも難易度は異なる。)
例: 「20 枚の紙を小刀で 4 つ切りにすると小さな紙は何枚になるでしょう。」という問題で 4 つ切りだから「4 等分」と速断して 20 ÷ 4 と計算する。
10) 計算力がついていないとき、つまずく。
11) 結果を吟味する態度ができていないとき、つまずく。
例: 「1 年生がならびました。ひろし君は、1 ばんまえから 17 ばんめで、はるえさんは 22 ばんめです。ひろし君とはるえさんのあいだにはなん人いるでしょう。」この問題は高学年になるほど誤答率が高くなるそうである。