愛しと思へりけらしな忘れと結びし紐の解くらく思へば (2558)
あの方はわたくしのことをいとしく思っておいでになるらしい。「忘れないでください」と結んで下さったこの紐が自然に解けることを思うと。
※ 下紐が解けるのは相手が思ってくれているしるし。
昨日見て今日こそ隔て我妹子がここだく繼ぎて見まく欲しきも (2559)
昨日逢って今日一日を隔てているだけなのに、こんなに続けてあの子に逢いたいのはなぜだろう。
白たへの袖觸れにしよ我が背子に我が戀ふらくは止む時もなし (2612)
互いに (白たへの) 袖を触れあってから、あなたにわたしが恋い焦れることは止むときもありません。
あしひきの山田守る翁置く鹿火の下焦がれのみ我が戀ひ居らく (2649)
(あしひきの) 山田を見張る老人が焚いている鹿を追い払う火が底の方だけでくすぶっているように、わたしは心の底で焦れながら恋していることよ。
※ 山田守る: 山の田を荒らす鳥や獣を見張って追い払うこと
靈ぢはふ神も我をば打棄てこそしゑや命の惜しけくもなし (2661)
(霊ぢはふ) 神様もわたくしめをお見限りになりませ。ええもうこんな命惜しくもございません。
ちはやぶる神の齋垣も越えぬべし今は我が名の惜しけくもなし (2663)
(ちはやぶる) 神社の神聖な玉垣も踏みこえてしまいそうだ。もうこうなっては、自分の名が惜しいこともない。
我が背子が使ひを待つと笠も着ず出でつつそ見し雨の降らくに (2681, 3121)
あの人からの使いを待つために、笠もかぶらずに門に出ては見、出ては見しました。雨が降るのもかまわず。
我妹子に我が戀ふらくは水ならばしがらみ越えて行くべくぞ思ふ (2709)
あの子に自分が恋い焦がれていることは、もし水だったらしがらみさえも越えて流れてゆくにちがいないと思うほどである。
※ シガラミ: 川の流れを堰き止めるに杭を打ち竹や木の枝を絡ませたもの。
白眞砂三津の埴生の色に出でて言はなくのみそ我が戀ふらくは (2725)
白い砂の三津浜には赤い埴土の断崖が見られるが、そんな風にはっきり表に出して言わないだけだ、わたしの恋は。
大伴の三津の白波間なく我が戀ふらくを人の知らなく (2737)
大伴の三津浜に白波が寄せ返すように絶え間なく自分が恋しく思っていることを、あの人は知ってくれない。
みさご居る沖つ荒磯に寄する波ゆくへも知らず我が戀ふらくは (2739)
みさごの棲む沖の荒磯に打ち寄せる波のように行く方も知れぬ、わたしの恋は。
大き海に立つらむ波は間あらむ君に戀ふらくやむ時もなし (2741)
大海に立つ波はときには止む間もあるでしょうが、あなたに恋い慕うことは休む時もありません。
我が背子に我が戀ふらくは夏草の刈り除くれども生ひしくごとし (2769)
あの人に私が恋していることは、夏草がいくら苅りとってもあとからあとから生えてくるようなものです。
神なびの淺小竹原のうるはしみ我が思ふ君が聲のしるけく (2774)
神奈備にある小竹が茂る原のように素晴らしいと私が存じますあなた様のお声が、多くの方の中でもひときわくっきりと耳に届いてまいります。
我妹子に戀ふれにかあらむ沖に棲む鴨の浮き寢の安けくもなき (2806)
あの子を恋しく思っているからであろうか。沖に棲む鴨が波のまにまに浮寝をするようにわたしの気持ちもゆらゆら落ち着かない。
紅の深染めの衣を下に着ば人の見らくににほひ出でむかも (2828)
紅花で色濃く染めた衣を下に着たならば、人の見ているところで色が表に透けてしまわないだろうか。
うつつには直には逢はず夢にだに逢ふとみえこそ我が戀ふらくに (2850)
現実には直接お逢いすることはかないません。せめて夢なりともお逢いできるようお姿をお見せください、これほどまでにお慕いしているのですから。
今は我は死なむよ我妹逢はずして思ひわたれば安けくもなし (2869)
もう死んでしまうよ、お前。逢わないで思い続けていると苦しくてたまらない。
み空行く名の惜しけくも我はなし逢はぬ日まねく年の經ぬれば (2879)
空に果てなく広がる私の浮名など惜しいとも思いませぬ。いとしい方にお逢いできない日が重なり年まで替わってしまったので。
夕さらば君に逢はむと思へこそ日の暮るらくも嬉しくありけれ (2922)
夕方になったらあなたにお目にかかれると思って、日が暮れるのも私には嬉しくてなりませんでした。