1985 年の暮れだったか 1986 年の年明けだったかも覚えていないし、どこの映画館で見たかさえ覚えていないが、ともかく封切りで見たことだけは確かに記憶に残っている相米慎二監督の『雪の断章—情熱—』(1985) をもう一度見てみたいと思ったのは公開から 32 年程経た 2017 年 12 月のことだった。だがその折 DVD は出ておらず今後も難しいだろうということだった。早逝した相米監督が残したこの映画は、最初に見てから記憶のどこかにしっかりと残り続けているらしく何かの拍子に無性にもう一度見たくなるのだが、幸いなことに今度は DVD だけでなくオンデマンドでも見られるようになっていた。
見直してみると冒頭の有名な雪のシーンの長回しのところさえ忘れている部分があった。その長回しは斉藤由貴を早く登場させるため、物語の前半を大幅に縮約する役割があるのだが、時間の経過が照明の繊細な切り替えだけで見事に示されている。思えば鈴木清順の『東京流れ者』(1966) の照明も熊谷秀夫が担当したのだった。斉藤由貴の幼少期を演じている子役が雪が積もった小さな橋の上で危うくバランスをとりながら歌っている唄は、この映画の中でその後何度も繰り返し歌われており、この映画の主題歌は『情熱』というよりも『さすらひの唄』であることがわかる。(大正時代に作られた『さすらひの唄』は、トルストイの戯曲『生ける屍』を劇団「芸術座」が上演したときの劇中歌で、北原白秋作詞、中山晋平作曲、主演の松井須磨子が唄ったとある。)
戦前の録音としては 1935 年に四家文子が歌ったものが非常に良い状態で残っている。
行こか戾ろか 北極光の下を
露西亞は北國 はてしらず
西は夕燒 東は夜明
鐘が鳴ります 中空に泣くにや明るし 急げば暗し
遠い燈も チラチラと
とまれ幌馬車 やすめよ黑馬よ
明日の旅路が ないぢやなし燃ゆる思を 荒野にさらし
馬は氷の上を踏む
人はつめたし わが身はいとし
街の酒場は まだ遠しわたしや水草 風ふくまゝに
ながれながれて はてしらず
晝は旅して 夜は夜で踊り
末はいづくで果てるやら
なお、映画では中山ラビの『ノスタルジィ』も流れていた。斉藤由貴が無人駅のベンチに座りピエロが出てくるあたりからその音楽は流れ始め、斉藤由貴が歩きながら生のトウモロコシ (!) を齧り、その後笠置シヅ子の『買物ブギー』が流れ出すあたりまで続いている。
歌といえば、この映画を初めて見るちょっと前に斉藤由貴が歌う『卒業』(を含むアルバム) を朝昼晩聴いていたことをあわせて思い出す。『卒業』は ’80 年代の記憶に残る名曲だと今でも思っている。
この作品が映画初出演だった、当時 19 歳の斉藤由貴であるが、相米慎二監督はよくまあこんな無茶な要求を新人に出したなあと思うし、斉藤由貴は撮影現場から怪我をしてでも逃げ出したいと思ったと聞く。今回見直しても十分見応えがあり ’80 年代アイドル映画 (だがアイドル映画とはなにか?) の記憶に残っている一本である。斉藤由貴のインタビューが「季刊リュミエール」の1986 年冬号に掲載されているが、そのインタビューは同じ号に掲載されている、D・W・グリフィスの『東への道』(1920) 撮影時の回想であるリリアン・ギッシユの『大切なのは、自分たちではなく、映画だけだと思っていました』にどこか反映していると思う。