高校の古文でかつて習った程度の文法知識しかない——しかも大部分は忘れている——自分であるが、それでも露伴の『對髑髏』の原文を読んでみると、規範的な文法からはかなり逸脱している部分があることに気付く。特にそれが集中しているのは、過去の助動詞「き」——というよりその連体形「し」——の学校文法の立場から言えば破格の使用ぶりである。もっとも、その「し」の使用ぶりは、中世以降の文章には普通に見られるものなので、それを「破格」ということすら間違っているのかもしれない。そんなことは承知の上で堂々と「破格」を露伴は押し通しているのだと思う。それで、この「し」を学校文法に従った場合にはどういう風に改めるとよいのだろうかと考えたのだが、これが結構楽しかった。
まず、「せし」や「来し」の例外を除いて用言の連用形に接続するはずの「し」が、サ行四段活用の動詞には一貫して已然形に接続している。全部はあげないが、たとえば、
「雪に印せし兎鹿の足痕」
「こちら向け我も淋しき秋の暮と一句の引導渡せしよし小耳に挾んで」
「旅宿の下司洒掃除の時懷中より日本政記一册落せしを見て
「神佛を賴み御介抱申せし甲斐なく」
といったところである。この使い方は、当時でも皆がこう書いたというものではないことは、たとえば鷗外の『舞姫』には、
「當時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日になりておもへば、穉き思想、身の程知らぬ放言、さらぬも尋常の動植金石、さては風俗などをさへ珍しげにしるしゝを、心ある人はいかにか見けむ。」
とあることからも分かる。
※ 辞書には、“明治三八年(一九〇五)の「文法上許容すべき事項」には「佐行四段活用の動詞を助動詞の『し・しか』に連ねて『暮しし時』『過ししかば』などいふべき場合を『暮せし時』『過せしかば』などとするも妨げなし」とある。”と記載されている。//
もうひとつ、学校文法では「き」は過去に起きたことを指定する辞で、多く、現在には存在しない過去の事態の回想に用いられると習うが、露伴が使っている「き」の連体形「し」には過去の事態の現在への「存続」「継続」の意味もあることがある (もちろん、この使い方も露伴だけがこう使っている訳ではない)。これが一番よく分かるのは、
「女はもどかしがりて握りし手を尙强く握りしめ。サア露伴樣何考へて居ゐらるゝ此方へ〳〵と引立つる。」
という所だと思う。ここでの「現在」は、正確に言うと物語中の「現在」であるが、その物語における現在 (しばしば「けり」で表される) に対して学校文法を当てはめれば、手は現在握ったままなのだから「握りし」はおかしいということになる。露伴はここでは「し」に「継続」の意味を明らかに認めている。このような部分は沢山あった。これも全部あげないが、たとえば、以下のようなところである。
「雪に印せし兎鹿の足痕」
「雪頽(なだれ)に埋づめられし木の枝に衣を裂き」
※ 正岡子規の『墨汁一滴』には、
たもとにつきぬ春のあは雪
という歌に対して子規が、
「はかりし」とここには過去になりをれど「はかる」と現在にいふが普通にあらずや。
と評しているところがある。そんな子規の辞世の句、
の「し」には矢張り感動するのである。//