ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

気晴らし (38)

ムシトリナデシコ。すでに (35) で南方熊楠による解説をあげておいた。なお、食虫植物ではなく茎の一部に分泌される粘着物にアリなどの小虫がくっつくことがあるだけである。欧州原産だが日本でも米国でも野生化している。写真は道端に咲いていたもの。

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ハナザクロ (花石榴) 。石榴で花が八重咲きのものや色変わりの鑑賞用のものをとくに花石榴と呼ぶ。

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アッツザクラ (ロードヒポキシス)。原産は南アフリカの高原である。雌蕊と雄蕊がどこにあるのかわからず不思議な花である。ないわけはないので中心の内側の花弁が交わるところに隠されているのだろう。

「アッツ桜」の名前はもともとこの花につけられたものではなかった。「アッツ桜」という名称が日本で有名になったのは、太平洋戦争期間中、日本軍が北方のアリューシャン列島、アッツ島で全滅した 1943 年 5 月 29 日のときである (大本営が唯一公式発表した「玉砕」として知られている)。そのとき、各新聞は兵士たちの死を悼んで「アッツ桜」の写真を一斉に掲載したのである。その名前は従軍したアッツ島の兵士たちがそう呼んで愛していた草花のもので、掲載された写真は 1942 年 6 月の「アリューシャン作戦」に陸軍報道班員として従軍したときに写真家の杉山吉良 (きら) が撮影したものだといわれている。その花は、サクラソウ属のエゾコザクラによく似たものでアッツ島のものはひとまわり小さいことからヒメエゾコザクラと和名が付けられた。しかし「アッツ桜」の名前はその後一人歩きするようになり、いつのことかロードヒポキシスのことがアッツザクラと呼ばれるようになったらしい。

※ 本来のアッツ桜は、杉山吉良「北限の花 アッツ島再訪」(文化出版局 1979.9)にカラー写真で掲載されているそうなので図書館が再開したら見てみたい。

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ゼニアオイをまた撮った。

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サツキ。

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デンドロビウムのノビル系。

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