エゴノキの花。近所ではこの美しい花がなかなか見つけられなかった。桜のように花びらが散るのではなく花全体が落花する。本来白花だが写真は園芸種と思われる (英語名は "Japanese snowbell" である)。牧野富太郎先生は『植物記』で、萬葉集にでてくる山ヂサ (山上憶良作含め三首ある) はエゴノキではなくイワタバコである旨のことを書かれておられるが、そうすると現代人はいざしらず当時の人は普通に咲いていたはずのこの花を見てなにも歌を残さなかったのだろうかという点については疑問が残る。
フクロナデシコあたりのナデシコ科シレネ(マンテマ)属のどれかの品種だろう。日本で呼称されるマンテマという奇妙な名前の由来はよくわからないが、学名になっているシレネの由来について南方熊楠が書いているので下に引用しておく。『きのふけふの草花』という題の文章である。カーネーションは「オランダ石竹」といわれていたのも 、撫子の英名 pink はもともと「細目でまたたく」という花の形状から連想した意味だったらしいというのもこの南方の文章で初めて知った。
※ もともとはオランダ語の"pinck oogen"からきているらしい。pinck は小さい、oogen は目なので南方のいっていることとほぼ一致している。花を斜めに見て、花弁の先のギザギザから睫毛を連想したんだと思う——「気晴らし(33)」の写真を参照。フランス語では ナデシコ類を œillet というが (un) œil は眼の単数形なのでやはり「小さな眼」という意味である。そういえば pinkie は小指 (little finger) のことだった。//
なお源氏物語の Edward G. Seidensticker による英訳を確認したら、「常夏」は "wild carnations" と訳してあった。玉鬘がいる西の対の庭の前栽 (せんざい) として植えられている唐なでしこと大和撫子は訳しわけられておらず、また該当するくだりはちょっと変な英訳になっていると思う。「撫子の色をととのへたる、唐の、大和の、籬 (ませがき) いとなつかしく結ひなして、咲き乱れたる夕ばえ、いみじく見ゆ」の部分がそうで、「唐の、大和の、」が、英訳では撫子の種類を表す同格ではなく「籬 」 を直接修飾してしまっていて、"... beneath low, elegant Chinese and Japanese fences" となってしまっている。
ムシトリナデシコ、英名キャッチ・フライ(蝿取)、その茎に粘液を出し蝿がとまると脱さぬ。それを面白がつて十七世紀にロンドンの花園に多く植えたさうだ。その学名シレネは、古ギリシヤの神シレヌスに基づく。禿頭の老人鼻低く体丸く肥え、毎も大きな酒袋を携ふ。かつて酒の神ヂオニソスを育て、後その従者たり。貌醜くきも聖智あればソクラテスに比べらる。栄利に構はず酒と音楽と眠りのみ好む。過去と未来の事を洞視する故、人その酔眠れるに乗じ花を聯 (つら) ねて囲み迫つて予言し、又唄はしむ。かゝる智神も酒といふ世の曲物には叶はないのだ。この神、酔うて涎ばかり垂らしをるに比べてムシトリナデシコの一属をシレネと呼んだ。只今山野にさくフシグロや、維新後入来のシラタマソウなどこの属の物だ。シラタマソウは英国等に自生し、若芽が莢豌豆とアスパラガスの匂ひを兼ぬるからそれらに代用する。札幌辺に生えるといふから料理に使ひ試すべしだ。
テッセンの実。
シンビシウム(シュンラン属)。
セッコク。岩場や大木に着生して花を咲かせている姿は昭和の終わり頃には見つけることが難しくなり、いまや絶滅危惧種である。園芸用として採取され続けたのが主な原因といわれ、現在は自生したものを採取する事は禁じられ人工栽培のものだけが流通を許されている。