ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

コリーン・ムーア

ウィリアム・A・サイター監督の『踊る青春』(Why Be Good?, 1929) は、もちろんコリーン・ムーア嬢の主演映画だけれども、これを見たのは、前の記事でキング・ヴィダー の 『曠野に叫ぶ』(The Sky Pilot, 1921) に二十歳ちょっと過ぎぐらいのムーア嬢が出演しており、馬に乗るシーンがあったからである。彼女が髪を短くしたボブ・ヘアでフラッパーとして売り出すのは、調べてみると『青春に浴して 』(Flaming Youth , 1923) という映画かららしく、この頃はまだ豊かな髪をみせている。

『曠野に叫ぶ』のコリーン・ムーアは落馬がもとで歩けなくなってしまうのだが、映画の最後の方の教会の火事の場面で、彼女が雪の上を這って主人公を救おうとする。ふとそこでアンドリュー・ワイエスの絵、『クリスティーナの世界』を思い出した。

キング・ヴィダーの遺作である短編 “The Metaphor” (1980) は見たことはないが、画家アンドリュー・ワイエスに関するドキュメンタリーだそうである。ワイエスはヴィダーの映画のファンで、『ビッグ・パレード』(1925) だけでも 180 回見たそうで、またヴィダーにファン・レターまで書いたのがきっかけだという。ワイエスは、そんなにまで『ビッグ・パレード』を繰り返し見ることが信じられない友人達に対して、「それがわからないならば、私の絵も理解できないだろうね」と答えたそうである。想像するに、ここにあげた『クリスティーナの世界』でもそうだが、ワイエスの絵は、ヴィダーの作品に何度も何度も出てくる「距離をおいて鉛直軸を介して上下に二つの対象を置く」ことと類似の主題を確かにもっている気がする。『曠野に叫ぶ』の最後の方の場面、構図こそ違うがムーアとクリスティーナのポーズは類似している。

以上のような脈絡のない連想をしていたら、いつのまにか「シンデレラ」を喜劇仕立てに翻案した “Ella Cinders” (1926) の断片を見て、

さらに勢いで『踊る青春』を全編見てしまっていた。すると 16 分過ぎぐらいの「タイガー・ラグ」をやっているダンスホールの場面で、受付嬢の頭に客の男達がソフト帽を被せるところがある。あー、サイター監督の映画とかを普通に見ていないと、小津安二郎の『その夜の妻』(1930) で八雲恵美子が丸髷の上に夫のソフト帽を被される場面 (あるいは、『戸田家の兄妹』(1941) で佐分利信が喪服姿の高峰三枝子の頭に帽子を被せる場面) は本当には理解できないんだと思った。