これは小国英雄が脚本だけではなく、日活から東宝へ移籍し監督もした、『ロッパ歌の都へ行く』(1939) の断片だと思う。
場所は日劇で、司会しているのが「悦ちゃん」なのかなあ (自信なし)。淡谷のり子が『雨のブルース』、上原敏が『親戀道中』、松島詩子が『ふるさとの母』、服部富子が『満州娘』、ディック・ミネが『上海ブルース』、渡邊はま子が『支那の夜』、徳山璉 (たまき) が 『太平洋行進曲』を歌唱している姿のある、非常に貴重な映像である。ディック・ミネの演奏は震える。この頃はまだ「三根耕一」ではなく、はっきりと「ディック・ミネ」と呼ばれている (カタカナの芸名の改名を命ぜられるのは 1940 年)。徳山璉のところで楽団 (PCL管弦楽団、現在の東響の前身) の指揮をとっている人は、服部良一であろう。観客の拍手しているところなんかの編集は不気味なまで不自然だし、最後の軍国映像も不快だし、やっぱり脚本の方がこの人は向いているというような映像だが、資料としての価値は高いと思う。
それから、バタヤンの名曲をなんとなく聞いて涙が出そうになる。
十九の春:
奄美エレジー:
現在の、しかも日本という時間と空間の枠の中に閉じこもることでひたすら退廃し、荒唐無稽で生々しい具体的細部をも圧殺することで抽象化しきった、 J-POP とやらの歌詞の凡庸さには辟易するしかないが、その一方、古い (といっても、高々100 年に過ぎない) 歌謡の歌詞は、名曲でなくてもまるで日本語の新しい可能性を開いてくれるようである。そういった意味で、ゴダールが「私たちに未来を語るのは“アーカイブ”である」というのは決定的に正しい。
「娘突進」っていったいどういうこと?とその言葉を聞くものは、ただひたすら、狼狽えるしかない。
娘突進!:
「とことんやれのホイサッサ」
茶屋小町:
「猪牙」という言葉を始めて覚えた。
隅田ばやし: