憲法の意義を完全に無効にする全権委任法の成立によって独裁体制が合法化され、ヴァイマル共和国が無残にも崩壊し、20 世紀の悪夢となった第三帝国が生まれる三年ばかり前のドイツで、監督ジョセフ・フォン・スタンバーグと新人女優マレーネ・デートリッヒが『嘆きの天使』(1930) の製作をきっかけとして初めて遭遇したことは、映画史が神話の域で語りついでいる。その作品で、実直な教師 (エミール・ヤニングス) を破滅させる踊り子ローラを演じたデートリッヒが脚線美を露わにしつつ退嬰的に唄う “Ich bin von Kopf Bis fuss auf Liebe (Falling in Love Again)” もまた忘れようがない。この作品はドイツの最初期のトーキーでもあった。
この録音のバックの演奏をしているのが、ヴァイマル共和国のベルリンで活動していたジャズ・バンド Weintraub's Syncopators である。この楽団の団員の多くはユダヤ人で構成されていたため、ナチスの独裁が始まると専らドイツ国外で演奏活動を行うようになる。1936 年には日本でも公演を各地で行なっており、その演奏が評判をよんだ。古川ロッパの同年の日記からは、ロッパが計二回この楽団の演奏会に出かけたことがわかる。二度目はそうでもなかったようだが、一度目のときはかなり興奮した様子で、
日劇へ評判のワイントラウブジャズバンドをきゝに行き、痛くこれに感激した。よろしい、これはよろしい。(中略) ワイントラウブジャズバンドを見て、これだと思った。これを日本風に消化したものこそ、これから受けるものである、それ! これを作らう。
と記している。日本滞在中に吹き込んだと思われる音源があったので、それをあげておく。