ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

メリィ・ウィドウ

『メリィ・ウィドウ』(The Merry Widow, 1934) は、エルンスト・ルビッチ監督による MGM 映画である。

亡くなられた淀川長治さんは、作品が気に入っているかいないかが、すぐに外から察せられる人であったが、この作品については、明らかに本当に褒めておられた。というのも、モーリス・シュバリエが歌うヴィリヤの恋の歌を解説中にご自分で唄っておられたのである!具体的になんと言われていたかまでは覚えていないが、おそらくこんな調子であったろう。

本当に見事な、見事な映画ですね。ジャネット・マクドナルド、本当に綺麗、綺麗な歌う女優ですね。そして、相手役はモーリス・シュバリエ。この二人が主演して、映画史上もっともお洒落で官能的なルビッチが映画にしたので、『メリィ・ウィドウ』は、絢爛たる名作になりましたね。それも、天下一品の名作ですね。

ルビッチの映画は、パラマウントでの大傑作『極楽特急』(1932) でもおなじことであるが、見るつもりにさえなれば、誰にでも平等に夢のようなひとときが過ごせるという、きわめて民主的な作品である。

ルビッチが 1930 年代に洗練の極みへと到達させた「寝室コメディ」は「スクリューボール・コメディ」「セックス・ウォー・コメディ」とも呼ばれるが、それは、ハリウッド、いや、映画史の中でもっとも魅力的なジャンルのひとつであり、そこでは、美男と美女が「ロマンティック」であろうとして心理的に演じるのでなく、あくまで美男美女が活劇を演じきることに特徴がある。

英語の glamorous は、もともと、このジャンルに主演した女優たちの美しさを形容するためのものだった。痩身で、胸とか腰とかは強調せず、身軽に動きまわり、上品さだけは決して欠かすことはないが、その一方で涼しい顔で夫以外の男とキスしてもいささかの矛盾も感じさせない女優たちが、スクリューボール・コメディを代表できたのである。『極楽特急』に出演し、「ルビッチの女優」としか表現しようがないミリアム・ホプキンスやケイ・フランシスは、まさに glamorous な女優であった。そしてその二人の相手をするハーバート・マーシャルもまた戦慄に値する魅力の持ち主である。

この作品で、ジャネット・マクドナルドが演じている大富豪の未亡人は、一人で Marshovia という架空の国家の税金の 52% を支払っているという設定になっている。その欧州の小国のモデルは、今では存在しないモンテネグロだったかもしれない。モンテネグロはスコット・F・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』でも、ギャツビーがニックに、第一次世界大戦で「モンテネグロからさえ勲章をもらった」と車を運転しながら語っている。

この映画を製作したのは、ジャン・リュック・ゴダールが『(複数の) 映画史』(1988-1998) の「1A すべての歴史」で、その製作本数のすさまじさについて取りあげていたアーヴィング・タルバーグである。37 歳の若さで夭折したにも関わらず、MGM が業界トップを維持できたのは、24 時間編集室を出ないといわれたタルバーグの活躍が一つの要因といわれている。

ルビッチ・タッチのほんの一例である次のクリップだけ、少し説明しておくと、若くして未亡人になって喪に服している大富豪の Sonia (ジャネット・マクドナルド)は、ある日、ダニロ伯爵 (モーリス・シュバリエ) と出会う。ダニロ伯爵は、Sonia をナンパしようとするが、見事に失敗する。クリップのシーンは、Sonia の寝室である。Sonia は、実はパリに行ってしまったダニロ伯爵のことを忘れようとするが、忘れられない。Sonia が呟く “There is a limit to every widow.” (どんな未亡人にも限界はあるわ) という短い台詞までに、いかに周到に演出が練られ、そしてその台詞がさらに落ちるのを見てほしい!