ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

没後30年

今年は美空ひばりの没後 30 年だったなあ。

1937 年生まれの美空ひばりの舞台デビューは 、9 歳になった 1946 年 9 月、横浜市磯子の映画館「アテネ劇場」においてとされており、そのころの芸名は「美空和枝」であった 。彼女はそこでディック・ミネの「旅姿三人男」(1938) を歌ったという。「ひばり」になるのは 1947 年になってのことである。

同じ 1946 年 12 月に NHK の「のど自慢素人音楽会」の予選に裾の長い真っ赤なドレスで出場したが、当時の「子供の歌」という既成概念を完全に覆しており、合格の鐘も不合格の鐘も鳴らず、たんに歌うのを途中で止めさせられたというのは有名な話だ。小柄で実際の年齢よりも幼く見えるが、声変わりをほとんど経験せず最初からあの低い声だった。「子供の歌」というのは、ひばりよりもやや年長の川田正子 (当時 13 歳) の「とんがり帽子」(1947) のようなイメージだったのだろう。

1948 年 5 月には、「あきれたぼういず」をすでに解散し、病気療養から復帰した 川田晴久 (当時は義雄であった) と知り合う。彼がひばりを松竹の斎藤寅次郎監督に紹介したのだという。ひばりは、レコード・デビューする前に映画デビューして歌った。つまり初期の彼女の歌声は、レコードよりも映画作品にはるかに多く残されている。映画デビュー作品は、1949 年 3 月の『のど自慢狂時代』(斎藤寅次郎監督) だが、現存するフィルムは不完全版であり、肝心のひばりが登場する部分はフィルムが欠落してしまっている。

フィルムが現存する中でもっとも古いといわれるのが、1949 年 6 月 (11〜12 歳) の『新東京音頭 びっくり五人男』(斎藤寅次郎監督) で、現在 DVD として入手可能なものは、新東宝が後年に短縮編集して『ラッキー百万円娘』として再公開したもので、それもやはり完全なものではない。この作品で、ひばりは「花売り娘」の役で交通事故に遭う。歌としては、最近見つかったものも含めて、松平晃の「小鳥売の歌」(1939)、

笠置シヅ子の「東京ブギウギ」「ジャングル・ブギ」(替え歌)、岡晴夫の「憧れのハワイ航路」「港シャンソン」、古川ロッパとの二重唱 (題名不詳) などが存在している。

彼女のオリジナル曲によるレコード・デビューは、1949 年 8 月の『踊る竜宮城』(佐々木康監督) で歌われた「河童ブギウギ」である。

斎藤寅次郎監督の映画は、ほとんど見ていないので 『憧れのハワイ航路』(1950) を見てみることにした。岡晴夫と美空ひばりの主演映画である。レコード化されるまでに時間があいているが、「ひばりの花売り娘」もこの作品で歌われている 。レコードのラベルに『父戀し』の主題歌とあるが、これは間違いである。

ところで「花を召しませ」いう歌詞は、1939 年の「廣東花賣娘」につかわれたのがはじめてなのだろうか?