アドルノの『ポピュラー音楽について』を読んだが、シリアス音楽とポピュラー音楽を厳密に規格化して区別しようとするその MECE な発想にまず辟易する。創造って概念と概念が位相として無駄に重なりあったところがないと出来ないので(例: ウナギ犬)、この人は論理操作はできるのかもしれないが、音楽や映画を創造的に聴いたり見たりするのは無理なんだろうなと思う。「文化産業」の文章なんかは、三十年間ポピュラー音楽を禁止したり、「歌仙」とまで言われた陳歌辛に強制労働をさせた上に餓死させたある時代のある国の「ポピュラー音楽弾劾文」とほとんど同じような内容ではないかと思う。ベンヤミンが無事に米国に亡命できて当時の米国の映画や音楽に触れていたら、少なくともベニー・グッドマンだのガイ・ロンバードだのベティ・ブープだのドナルド・ダックだのそこにいなかった数十年以上時代を後にしている人間ですら容易に想像できる固有名詞以外のものを例としてあげてくれていると思う。
そもそもベンヤミンの文書ってわかりにくいかもしれないがMECEではない創造性を感じる。次の有名な文章なんて何を言っているのかさっぱりわからないオクシモロン的なものだが、様々な読みを可能にしてくれる。
そもそもアウラとは何か。空間と時間から織りなされた不可思議な織物である。すなわち、どれほど近くにであれ、ある遠さが一回的に現れているものである。
アドルノは音楽を取り上げ、ベンヤミンは写真や映画を取り上げているが、そもそも「複製技術」といっても音と映像にはかなり違いがある気がする。例えば、亡くなった自分のごく親しい人の写真は数多く残っていたのに、声の録音はほとんど残されていないのに気がついてこの差は何だろうと愕然としたことを憶えている。
クルーナーの Art Gillham が出てきたので、この曲を聞いた。ほんの一部のリスト。
1916:
Arthur Collins:
1919:
Al Bernard:
1925:
Art Gillham:
※ コロムビアが最初に電気録音した5枚の内の一枚。
1927:
Sam Collins:
1930:
Al Bernard and the Goofus Five:
1935:
Nat Gonella and his Georgeans:
1936:
Winngy Manone:
1938:
Jelly Roll Morton:
1939:
Smith Casey:
1942:
Muggsy Spanier:
1944:
Adeian Rollini Trio:
1953-58:
Eartha Kitt:
1954:
Louis Armstrong:
1964:
Janis Joplin:
1967:
The Kaleidoscope:
ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 (ちくま学芸文庫)
- 作者: ヴァルターベンヤミン,Walter Benjamin,浅井健二郎,久保哲司
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