1979 年 7 月 15 日に発行された銀色の表紙のエピステーメー7月臨時増刊・終巻号が本棚にあるのだが、そこには蓮實重彥の『陥没地帯』が掲載されている。その書き出しを引用してみるとこうなっている。
さしあたっての口実は何であってもかまうまい。どのみち物語はとうの昔に始まっているのだし、事件もまた事件で特定の一日を選んで不意撃ちをくらわせにやってきたのではないのだから、いかにも退屈そうに日々くり返されるその律儀な単調さと折合いをつけるのに、比喩だの象徴だのはあまりに饒舌すぎる贅沢品というべきだろう。いま必要とされているのは、ごくありふれた草木の名前でもさりげなく口にしておくことだけだ。
この奇妙な小説が発表された 40 年あまり後に、まさか「日々くり返される律儀な単調さ」に対して「ごくありふれた草木の名前でもさりげなく口にしておく」ことを律儀に反復することになるとは想像すらできなかったが、そろそろ記事のタイトルぐらいは変更したい気分になった。
近くの小さな公園に咲いていた。ユリではなくワスレグサ属だと思うが、そのどの種なんだろうか?朝咲いていたからユウスゲではなくノカンゾウの仲間だとは思う。
「忘れ草」は万葉の時代に大伴旅人らによって詠まれているが、花ではなく葉を身に結ぶと慕情を忘れさせてくれると信じられていたためである。
アブチロン。
シモツケ。
カシワバアジサイ。
ビヨウヤナギ。
キバナアマ。