今日は、バングラデシュのラナプラザが 2013 年に崩壊して、千人以上の犠牲者を出した日であり、最近は「ファッション・レボリューション・デー 」と呼ばれている。
クリント・イーストウッド、中島貞夫、ジャン・リュック・ゴダールの新作を一ヶ月ちょっとで立て続けに見るという信じられない幸福を味わってしまった。まるで映画を一番見ていた時期の組合せである。ゴダールは映画館が遠かったが、考えてみれば昔だってゴダールの映画はそんなにあちこちで上映していたわけではないので気にならない。作品の良い悪いの評価もまったく関係なく、ただ「見られる」だけで幸せなのである。圧倒的に見ないことに貢献し、人を盲目にしていくものが氾濫している気がする。考えてみれば、ゴダールの映画は画面に文字が重なっても、画面を見ないなんてありえない。画面があって、文字があって、それでその組合せとはいったい何なんだという、見えないモンタージュの部分を見せようとして結局よくわからないのがゴダールの映画で、そのわからなさが非常に心地よいのだが、テレビのあの文字は、どうせ大したことないから画面など見るな、文字で十分だといっているようであり (実際ほとんどそうだが)、その慣行が始まった時期とテレビを滅多に見なくなった時期は正確に一致している。
幸福だった間、中島貞夫監督の 『日本暗殺秘録』(1969)、『893 愚連隊』(1966) を見たことは書いたが、それ以外に『鉄砲玉の美学』(1973) を見て兎たちがキャベツ食べているシーンに笑い、それから部分的だが、オフュルスの『快楽』(1952) を見直したので、その映画作りのあまりの贅沢さに ATG の超低予算で作った中島貞夫監督がちょと可哀想になった。
『快楽』は人物を走らせて、誤魔化しの一切きかないワンシーンワンカットをクレーンで撮るんだから、セットを大がかりにし、しかも画面に入る移動範囲全体を緻密に作りこまないといけないし、当時 (19 世紀) の衣装も必要であり、いったいどれだけ予算をかけたのだろうと思う。たしか、『快楽』って二話目で予算が足りなくなって、資金調達のために三話目を作るまでがかなり時間が空いてスタッフの都合がつかなくなり撮影監督をはじめとして入れ替えがあったはずである。ゴダールの映画作りでも、オフュルスのような映画作りは到底真似ができるはずもなく、小津安二郎がハリウッド映画を見て到底真似できないので、戦後の独自なスタイルを確立していったように、ゴダールもゴダールなりのスタイルを確立していったということは考えられるかもしれない。
それから、『快楽』のダニエル・ダリューが「伯爵夫人」として出演していることと、製作が同じ 1952 年ということと、タイトルが『五本の指』でゴダール繋がりなので、ジョセフ・L・マンキウィッツ監督のスパイ映画『五本の指』 (5 Fingers, 1952) を見た。