前の記事で書いたように『ダイナ』は、1923 年にブロードウェイで初演されたミュージカル “Kid Boots” がロング・ランを続けていた 1925 年のどこかで、そのミュージカルに導入され、エディ・カンターによって歌われた。以下のクリップは録音時期は不明だが、エディ・カンターが歌っている “Dinah” である。
同じ 1925 年に当時マンハッタンのクラブで歌っていた Ethel Waters がこの曲を録音し、1926 年にヒットさせた。
ヒットした Ethel Waters のものよりも The Revelers の録音の方がわずか早い。
Cliff Edwards (Ukulele Ike) の録音も 1925 年である。
その後に続いて、多くのアーティストが 1926 年のほぼ同じ時期にこの曲を録音している。
Miss Joséphine Baker " Dinah " 1926 Charleston - YouTube
1927 年以降、中野忠晴が最初に日本で録音した 1934 年までの主な録音もあげておく(全部ではない)。なお分かるとは思うが、Jack Hylton のものは色々なアーティストのスタイルを真似てみせている。
Midge Williams の録音は中野忠晴のものよりも後だが中野の録音は Midge Williams が来日した (1933 年に溜池にあったダンス・ホール「フロリダ」で『ダイナ』を演じた) ことがきっかけと言えるので彼女の録音もあげておく。
最後に日本の録音として、中野忠晴 (1934 年 4 月、日本における最も早い録音)、ディック・ミネ (1934 年 12 月)、マーガレット・ユキのものだけをあげておく。戦前の日本には、国内外合わせて 50 以上の『ダイナ』の演奏が存在していたといわれる。デイック・ミネのレコードが日本ではもっとも売れ、テイチク創業以来の大ヒットになったそうで、半年で百万枚売れたとしているものもある。このミネの録音では、1929 年、19 歳のときに上海に渡り、テディ・ウェザーフォードにジャズを師事した南里文雄のトランペットがサッチモの『ウエスト・エンド・ブルース』(1928) の出だし部分をアドリブで奏でるとともに、後半にあるリズムが上がる南里のアドリブは、短いながらも戦前でもっとも卓越した演奏であると瀬川昌久は述べている。