奥付の裏の白頁の左隅に行書体の綺麗な筆で名前——前の所有者だろうか——が記されている『五體字類』を古本屋で以前買ってあったのを引っ張り出してきて、分からないときにはそれを参照しつつ、手当たり次第にいろいろな文章を見つけ出してきては、もう少し自然に変体仮名が読めるよう練習している。字と字を繋げて書くことを連綿と云うそうだが、どこからが文字で、どこからが連綿のための線なのかということも最初はよく分からず、考えてみれば、このような文字を分節すること自体が困難な読書体験は初めてである。さらに句読点もなく濁点も段落も章立てもない文章は、分かりやすさばかりを強調したがる現代とは対照的なもので、読み手側に分節が任されている一方で、書き手・作り手はその読み手の努力に見合う、あるいはそれ以上の美しさと質とを提供しようとしている。その世界はある意味で甘美ともいえる。
読んだことのない文章にいきなり触れる勇気もない初心者なので、前回取り上げたものや今回取り上げる『竹取物語』のようなすでによく知っているものをよんでいる。前回は変体仮名の字源となる漢字をいち〳〵記載したが、今回はしないことにする。また歴史的仮名遣いと異なる部分があっても修正しない。
いまはむかしたけとりのおきなといふ
ものありけり野山にましりてたけ
をとりてよろつの事につかひけり
名をはさるきのみやつことなんいひ
ける其竹の中にもとひかる竹なん
一すちありけりあやしかりてよりて
見るにつゝの中ひかりたりそれをみ
れは三すんはかりなる人いとうつくしう
てゐたりおきないふやうわれ朝こと夕
ことに見るたけの中におはするにて
しりぬ子になり給ふへき人なめり
とて手にうち入て家へもちてきぬ
めの女にあつけてやしなはすうつ
くしき事かきりなしいとおさなけ
れははこに入てやしなふ竹とりのお
きな竹とるに此子を見つけてのちに
たけ取にふしをへたててよことにこか
ねある竹をみつくる事かさなりぬかくて
おきなやう〳〵ゆたかになりゆく此ちこ
やしなふほとにすく〳〵とおほきになり
まさる三月はかりになるほとによきほと
なる人になりぬれはかみあけなとさうして
かみあけさせきちやうのうちより出さす
いつきかしつきやしなふほとに此ちこ
のかたちのけそうなる事世になくやの
うちはくらきところなくひかりみちたり
おきなこゝちあしくくるしき時も此子を
みれはくるしき事もやみぬはらたゝし
き事もなくなくさみけりおきなたけ
をとる事ひさしくなりさかへにけり
此子いとおほきに成ぬれはなをみむろ
といんへのあきたをよひてつけさす
あきたなよたけの
かくやひめと付侍る