ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

変体仮名

変体仮名を読む練習をちょっと前からしているのだが、上にある一葉の原稿の平仮名は直ぐに読めるわかりやすいものだと思う。

まず、題名の「たけくらべ 」のうち、「く」「ら」が変体仮名であることが分かる。

「く」の変体仮名は上の方に小さい「く」があって下に大きな「く」があるように見える。漢字の「久」を崩したもので下の左下のタイプである。この変体仮名は、本文の「明けくれなしの」の「く」にも同じものが使われている。

左下の「く」には、小さい「く」があって下に大きな「く」があるように見えるというのは結構重要で、下の二つの字の上側は「く」の変体仮名だが、下側は「天」を崩した「て」の変体仮名である。区別は上の方が「く」に見えるか「て」に見えるかである。

上と下の大きさのバランスも弁別に影響する。下の二つの字の上側は「く」の変体仮名だが、下側は「三」を崩した「み」の変体仮名である。

「ら」の変体仮名はちょっと難しいが、ほとんど一直線に書かれる「し」の変体仮名と比べて僅かだがくねっていることで「ら」と識別することができる。下の二つの字の上側は「ら」だが、下側は「し」である。「ら」のくねり方も上下の大きさのバランスが重要でバランスが悪いと「う」の崩し字と区別できなかったりする。

本文にある「全盛をうらなひて」の「ら」の変体仮名はもう一つのタイプで、こちらは読めると思う。「一軒ならず二軒ならず」の「ら」は題名にある「ら」よりもくねり方が大きいので読みやすい。

本文に入って、最初の「廻れば」の「ば」に片仮名の「ハ」のような変体仮名に濁点を打ったものが使われている (元の漢字は「八」)。助詞の「は」に使うことが多いようだ。少なくともこの例文では助詞の「は」には皆「ハ」が使われている。なお、左下の「は」の変体仮名 (元の漢字は「者」) は今でも「ば」として蕎麦屋の暖簾で見るものだ。

「は」は「波」を崩したものだが変体仮名として「盤」を崩したものもよく使われるので、あげておく。

「お齒ぐろ溝に」の「に」の変体仮名は漢字の「尓」を崩したもので、「に」はすべてこの変体仮名が使われている。下の右下の文字タイプである。ただ、「手に取る如く」の「に」は自分には読みにくい。

「明けくれなしの車の行來にはかり知られぬ全盛をうらなひて」に出てくる二つの「な」は「奈」を崩したものだが、崩しかたがかなり違う。最初の方の「な」は「る」に紛らわしい。丸めた後に最後に突き出す位置の違いである。

「可」を崩した「か」の変体仮名も頻繁に出てくる。「はかり知られぬ全盛」の「か」、「三島神社の角をまがりて」の「が」、「かたぶく軒端の」の「か」、「をかし」の「か」など皆そうだ。

また、下の図の右下の「た」の変体仮名は知らないと最初は読めないだろう。「かたぶく軒端の」の「た」に使われている。「多」を崩したものらしいが、元の漢字が分かったところで想像しにくい。いま使われている「た」の元字は「太」で云われてみればそうだとわかる。

右下の「た」もいろいろな変化がある。

次の小野小町の歌にある「た」では上の最初の字形が使われている。

花の(乃)色は
うつ(徒)り(利)に(尓)
け(介)り(利)な(奈)
いた(多)つら に(耳)
わか(可)み(身)よ(与)に(尓)ふる(累)
なか(可)めせしまに

あとは「三」を崩したような「み」、「里」を崩した「り」、「乃」を崩した「の」、最後の文字の「王」を崩した「わ」があるくらいである。「わ」の変体仮名は冒頭の「廻れば」のルビにも使われている。

たけくらべ 樋口一葉女

廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三島神社の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長屋、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戶の外に、あやしき形に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田樂みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、一軒ならず二軒ならず、朝日に干して夕日に仕舞ふ手當こと〴〵しく、一家內これにかゝりて夫れは何ぞと問ふに、知らずや霜月酉の日例の神社に欲深樣のかつぎ給ふ是れぞ熊手の下ごしらへといふ、正月門松とりすつるよりかゝりて、一年うち通しの夫れは誠の商賣人、片手わ

「く」と「か」と「た」の変体仮名は、根津夫人 (谷崎潤一郎の後の妻、松子夫人) が書いた扉字「まうもくものかたり」にも使われている。(最初の「も」も二番目の「も」も「毛」を崩したものだが崩し方が全く違う、最後の「り」は「李」の崩字だろう。)

ついうっかり「を」と読んでしまう、元字が「世」の「せ」を挙げておく。上が「を」、下が「せ」である。

例として、下は清少納言の歌で、最初に出てくるのが「を」で、次に出てくる方は「せ」である。

夜をこめ(免)て
と(登)り(里)のそ(曽)ら(羅)
ねは(盤)はか(可)る とも(毛)
よ(与)に(耳)あふさ(左)か(可)の
せ(世)き(支)は(盤)ゆるさし


※ 「左」が元字の変体仮名「さ」は、ちょっと分かりにくいが、「左」の字の左払いを右払いに変えた下にある字をうんと縦に引き伸ばした感じである。なぜ左払いが右払いに変わるかは、単なる想像だが、「左」にある「エ」を「乙」と続けて書くことにし、更に左払い「ノ」を途中でやめて「乙」に滑らかに繋げようとした最終形態なのかもしれない。

今度の下の二つの字は、上側は「利」を元にした変体仮名「り」、下側は「わ」である。この「り」は、すでに小野小町の歌に二回出ていた。

最初の筆の入りの違いかなと思いきや、下の喜撰法師の歌の一番最初と一番最後の文字をみるとそうとは言いきれないようである (文脈で誤読がなければよいという感覚なのかもしれない)。

わか(可)庵は(盤)み(三)やこの
た(多)つ(川)み
しかそす(春)む(無)
よ(与)を
うち山と
人は(盤)
いふな(奈)り(利)

伊勢物語嵯峨本 (1608 年に出版された古活字版による最初期の『伊勢物語』刊本。嵯峨本は、日本の出版史上もっとも美しい書物と云われている)、筒井筒の冒頭部分。

昔ゐなか(可)わた(多)ら(羅)ひしけ(介)る(類)人のことも井のも(毛)とにいて(天)ゝあそ(曽)ひけるを(越)おとな(那)に(耳)なり(利)に(尓)け(介)れは(盤)お(於)と(登)こも女もはちか(可)は(八)して(天)あ(阿)り(里)け(介)れ(禮)は(八)おとこは(盤)この(乃)女をこそ(曽)えめと(登)思ふ女は(盤)この(能)男をと思ひつ(津)ゝおやのあは(者)す(須)れ(連)ともきか(可)てなむあり(利)け(介)る(流)さてこの(乃)となり(利)の(能)おと(登)この(乃)もとよ(与)り(利)かくなん

つ(徒)ゝゐつの井つ(津)ゝにか(可)けしまろかた(多)け
す(寸)き(起)に(尓)け(介)ら(良)しな(奈)いもみさ(左)るま(満)に(耳)

一葉が生きた頃の小学校低学年向け教科書 (『讀方入門』、明治十七年文部省) の一部をあげる。読んでみると次のようになる。

じ(志)うるゐ、げい(以)、な(奈)らふ。
あうむは(者)、てうるゐ な(奈)れども、
よく こ(古)とば (者)を まな(那)び。
さ(佐)る は、じ(志)うるゐ な(奈)れども、
し(志)ゆ(由)〴〵 の げい (以)を な(奈)らふ。

このむ、あ(阿)い(以)す(須)。
うぐひ(飛)す(春) の ね(祢; 旧字の示偏)は(者)、たのしく(具)、ほ(本)とゝぎす(春) の こゑは(者)、かな(奈)し。な(奈)んぢ は(八)、い(以)づれ(連)を(越) このむぞ、わ(王)れ(連)は(八)、こと(登)に(尓)、うぐひ(飛)す(春) を あ(阿)い(以)す(須)。

※ 「連」が元字の変体仮名は活字が潰れて見にくいが下のような字である。

最後は、安藤廣重の「魚尽くし」から。歌の中に「いなた」と「ふく」の文字が織り込まれている。

あたゝかい
なだの
しほかぜ
ふくからに
つぼみも
ひらく
梅の折枝

あた(多)ゝか(可)い(以)
なた(多)の(能)
しほ(本)か(可)せ(世)
ふ(婦)くか(可)らに(耳)
つほ(本)みも
ひ(飛)らく
梅の折枝