ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

風流佛

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露伴の『風流佛』を読んだ。仏師である珠運の話だから、漢字の音読みは呉音が基本となるが、なかなか直ぐに出てこない。下に挙げたところでは「聖書の中へ山水天狗樂書したる兒童が日曜の朝字消護謨に氣をあせる如く」なんて、どうしたらこんな比喩が出てくるんだろう。

写真は近くでとった石楠花。シャクナゲは呉音読みの「シヤクナンゲ」から転じた慣用読みだそうである。

第九 如是(によぜ)(くわ)
上 既に佛體を作りて未得安心

勇猛精進潔齋怠らず、南無歸命(きみやう)頂禮(ちやうらい)と眞心を凝らし肝膽(かんたん)を碎きて三拜一(さく)九拜一刀、刻み出せし木像あり難や三十二相圓滿の當體(たうたい)卽佛、御利益疑なしと(なまぐさ)き和尙樣語られしが、さりとは淺い詮索。優鈿(うでん)大王(だいわう)とか饂飩(うどん)大王(だいわう)とやらに賴まれての仕事、佛師もやり損じては大變と額に汗流れ眼に木片(こつぱ)の飛込むも構はず、恐れ(かしこ)みてこそ作りつれ、恭敬三昧の嬉しき者ならぬは、御本尊樣の前の朝暮の看經(かんきん)には草臥(くたびれ)(かこ)たれ乍ら、大黑の傍の下らぬ雜談には夜更くるをも厭ひ玉はざるにて知るべし。と評せしは兩親を寺參りさせ置き、鬼の留守に洗濯する(いのち)ぢや、石鹼玉(しやぼんだま)泡沫夢幻の世に樂をせでは損と帳場の金を(つか)み出して御齒(おは)涅溝(ぐろどぶ)の水と流す息子なりしとかや。珠運は段々と平面(ひら)(いた)に彫浮ぶるお辰の像、元より誰に賴まれしにもあらねば細工料取らんとにもあらず、唯戀しさが餘りての業。一刀削りては暫く茫然と眼を(ふさ)げば、花漬めせと矯音を洩す口元の愛らしき工合、オヽそれ〳〵と影を促へて(また)一ト(たち)、一ト(のみ)突いては跡じさりして眺めながら。幾日の恩愛、扶けられたり扶けたり、熱に汗蒸れ垢臭き身體を嫌な樣子なく優しき手して介抱し吳れたる嬉しさは今は風前の雲と消えて、思ひは(いたづら)に都の空に馳する事悲しく、なまじ最初お辰の難を助けて此家(こゝ)を出でし折、留められし袖思ひ切つて振拂ひしならばかく迄切なる苦とはなるまじき者を、と戀ひしを憎む戀の愚痴、吾から吾を(わきま)へ難く、恍惚(うつとり)とする所へ現るゝお辰の姿、眉付媚かしく生々として、(ひとみ)、何の情を含みてか吾與へし櫛にヂッと見とれ居る美しさ。アヽ此處なりと幻影を寫して又一鑿。漸く廿日を越えて最初の意匠誤らず、花漬賣の時の襤褸(ぼろ)をも着せねば子爵令孃の錦をも着せず、梅桃櫻菊色々の花綴衣(はなつゞりぎぬ)麗しく引纏はせたる全身像、惚れた眼からは觀音の化身かと見れば誰に遠慮なく後光輪まで付けて、天女の如く見事に出來上り、吾ながら滿足して眷々(ほれ〴 〵)とながめ暮せしが、其夜の夢に逢瀨常より嬉しく、胸あり丈ケの口說(こま)やかに。戀知らざりし珠運を煩腦の深水(ふかみ)へ導きしが憎しと云へば。可愛がられて喜ぶは淺し、方樣に口惜しい程憎まれてこそ誓文移り氣ならぬ眞實を命打込んで御見せ申したけれ。扨は迷惑、一生可愛がつて居樣と思ふ男に。アレ噓、後先揃はぬ御言葉どうでも殿御は口上手と、締りなく睨んで打つ眞似にちよいとあぐる、纖麗(きやしや)な手首、(しつか)りと捉へて柔らかに握りながら。打たるゝ程憎まれてこそ誓文命掛けて移り氣ならぬ眞實をと早速の鸚鵡返し、流石は可笑しくお辰笑ひかけて、身を縮め聲低く。此手を。放さぬが惡いか。ハイ。これは〳〵大きに失禮と其儘放してひぞる眞面目(まじめ)(がほ)を、心配相に橫から覗き込めば、見られてすまし難く、其の眼を邪見に(ふた)せんとする平手、それを握りて。放さぬが惡いかと男詞。後は協音の笑許り殘る睦じき中に、娘々と子爵の鏽聲(さびごゑ)。目覺むれば昨宵(ゆふべ)明放した窓を掠めて飛ぶ鴉、憎や彼奴が鳴いたのかと腹立しさに振向く途端、彫像のお辰夢中の人には遙劣りて身を掩ふ數々の花うるさく、何處の唐草の精靈かと嫌になつたる心には惡口も浮み來るに、今は何を着すべしとも思ひ出せず工夫鍊り〳〵刀を()ぎぬ。

下 堅く妄想を(ねつ)して自覺妙諦

腕を隱せし花一輪削り二輪削り、自己(おの)が意匠の飾を捨て人の天眞の美を露はさんと勤めたる甲斐ありて、なまじ着せたる花衣(はなごろも)脫がするだけ面白し。終に肩のあたり頸筋のあたり、梅も櫻も此君の肉付の美しきを蔽ひて誇るべき程の美しさあるべきや、と截ち落し切り落し、むっちりとして愛らしき乳首、是を隱す菊の花、(にほひ)の無き癖に小癪なりきと刀忙しく是も取つて拂ひ、可笑(をかし)や珠運自ら爲たる業をお辰の仇が爲たる事の樣に憎み、今刻み出す裸體も想像の一塊なるを實在の樣に思へば、愈々昨日は愚なり、玉の上に泥繪具彩りしと何が何やら獨り後悔(こうくわい)慚愧(ざんき)して、聖書の中へ山水天狗樂書したる兒童(こども)が日曜の朝字消護謨(ごむ)に氣をあせる如く、周章狼狽一生懸命、刀は手を離れず、手は刀を放さず、必死と成つて夢我夢中、きらめく刃は金剛石の燈下に(まろ)ぶ光きら〳〵、截切る音は空駈くる矢羽(やばね)の風を()る如く、一足退って配合(つりあひ)見糺(みたゞ)す時は琴の絲斷えて餘韵(よゐん)のある如く、心糾々、氣昂々、(そも)幾年の學びたる力一杯鍛へたる腕一杯の經驗修鍊、渦まき起つて沸々と、今拳頭に(ほとばし)り、倦むも疲れも忘れ果て、心は冴に冴渡る不亂不動の精進波羅密、骨をも休めず、筋をも緩めず、湧くや額に玉の汗、去りも敢へざる不退轉、耳に世界の音も無く(うゑ)(かわき)も顧みず、自然と不惜(ふしやく)身命(しんみやう)の大勇猛には無礙(むげ)無所畏(むしよゐ)、切屑拂ふ熱き息、吹き掛け吹込む一念の誠を注ぐ眼の光り、凄まじきまで凝り詰めれば、爰に假相の花衣、幻翳空華解脫して、深入無際成就一切、莊嚴端麗有難き實相美妙の風流佛、仰ぎて珠運はよろ〳〵と幾足後へ後退り、ドツカと坐して飛散りし花を捻りつ微笑するを、寸善尺魔の三界は猶如火宅や。珠運樣、珠運樣と呼ぶ聲戶口に忙し。