明治二十二年四月に発表された尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺侮』を読んだ。明治二十三年一月発表の『緣外緣』(對髑髏) がどのくらい影響を受けているかを確認するためである。 冒頭の一部分だけを載せておく。『二人比丘尼色懺侮』は 2019 年に岩波文庫が復刊してくれており普通に読める。
『二人比丘尼色懺侮』の冒頭に据えられた文章は、三十六種の花々を描いた俳画とそのそれぞれに添えられた俳文とからなる森川許六——芭蕉の弟子の一人である——の『百花譜』より引用されたものである。ここでの罌粟についての文章からもわかるように花を女性に喩えていて、罌粟坊主についての描写が洒脱で面白い。
發端 奇遇の卷
罌粟は眉目 容すぐれ髮長し。常は西施が鏡を愛して粧臺に眠り。後世なんどの事は露ばかりも心にかけぬ身の。一念の恨みによりて。ごそと剃こぼして尼になりたるこそ。肝つぶるゝ業なれ。
……百花譜 許六
蕭寂はそも如何ならん。片山里の時雨あと。晨より夕まで。昨日も今日も凩の烈く。あるほどの木々の葉——峯の松のみ殘して——大方吹落しぬれば。山は面瘠せて哀れに。森は骨立ちて凄まじ。
茶の煙だに擧らずば。山賤も知らぬ谷陰に誰がすむ庵ぞ。かくても尙捨て難き浮世の面影のこす菱垣。疎に結ひ繞し。竹は蝕み。繩朽ちたれど。枯蔦の名殘惜しく縋れるまゝに倒れもやらず。二本の黑木を入口の標に茅葺の屋根は歲に黑み。落懸る檐風に傷はしく。風情は月にばかりの破壁。强くは蹈れぬ竹緣。切株の履脫より左に三尺。其處に筧の。水ほどにもなく絕えせぬ雫。閼伽桶に滴る音の。やう〳〵幽に疎に成りゆくは桶の口凍るにやあらん。夕暮れの風寒し。
麓路に梅香りて。扨は春。窓外の山白うなれば。冬ぞと知る。此處には曆日なく。晝は伐木の音に暮れ。夜は猿の聲に更けて。鐘も鷄も。響かず聞えず。戀する身には此上なき隱れ家に似たれども。愛慾を棄てずしては。一日假の住居も難し。夕日影木末に薄ぎ。反古張の障子赤くなれば。程なく內に鉦鼓の聲す。何處よりか來にけん法衣の人。塗笠目深に打冠りて。此門に休ひ。
「賴む。」と音なふは女の聲。鉦の音息みて。障子の外に現れしも法體の女人。鼠木綿の布子に墨染の腰法衣。頭巾着たるが外面を窺ひ。
「何御用でござりまする。」
「是は行脚の比丘尼。慣れぬ山路に迷ひ。難義を致しまする。御無心ながら一夜の宿をお願ひに。御看經のお邪魔を致しました。」
寒さに慄く聲なり。
「ご覽の通の荒屋。夜の物とて御座りませぬが。お厭ひなくば。さゝお入遊ばせや。」
客の比丘尼は凍る手のもどかしく。笠の紐とく〳〵緣に立寄りて。主が勸むる微溫湯に疲れし足を濯ぎ。導れて爐近く座を占め。初對面の挨拶。やがて澁茶一椀。欵待ぶりにさしくぶる榾の。焚上る炎に背くる顏を。主は何心なく打見るに。俗に在りし昔の我ならば。げに可妬しき其の容色。今も見て。臭骸の上を粧うて是とは覺えず。おのれは二十一歲。二つばかりは少かる可し。此の眉目容姿——此の年紀。菩提の種には何がなりし。まだ爪紅の消えやらぬ指に。珠數つまぐる殊勝さ……過ぎて哀れなり。我身に思ひ較べて濕む淚を。爐の榾搔動かして。烟しと紛はす。客も主を見れば。世に捨てらるべき姿かは。世に飽くといふ年かは。或は我に似たる身の果か。聞かまほし。語らまほしや。我が事。人の事。互に一樣の思は有れど。言出づる機會なくて。山路の險阻——麓の川の名——堂塔伽藍——昨夜の氷。其等を他に物語る程に。粥煮えたりと。主客夕餉の箸を取り。やがて又少時の物語。
「旅の疲もさぞ。心置かれず御寐なれ。」 と紙帳釣下して。切に勸むれば。明朝を契りて客は先づ臥戶に入りぬ。
里ならば初夜撞くほどに夜は更けて。山を吾物に暴す風。其に吹轉けじと。松の梢に取附く梟の濁聲。其に呼吸つまらせて。月に哮く狼の遠音。庭にたまりし落葉の。また其に揉れて。哄と一度に板戶を打てば。夢破られし客の比丘尼は。目を開きて。今眠りしと思ひしに。同じ床に主の寐姿。外は凄く。內は寒く。目を閉ぢても心は冱え。微なれども耳につく主の鼾。枕邊に夜を守る行燈の火影に。紙帳の反古の文字鮮に讀まれければ。寐られぬまゝに頭を擧げて。目近の一通を見るに。(後略)