ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

対髑髏 (3) 幸田露伴

(三)

  • 聞けば聞く程筋のわからぬ
  • 戀路(こひぢ)のはじめと悟りの終り
  • 能々(よく〳〵)たゞして見れば世間に多い事

其時お妙は長江(ちやうこう)を渡る風(かろ)く雲を(ふい)ておぼろにかすむ春の夜の月大空に漂よふ(やう)に滿面の神彩(しんさい)生々(いき〳〵)と然も(やさ)しく、藍田(らんでん)()むる(かすみ)あたゝかに草を()してほやりほやりと光り和らぐ(たま)陽炎立(かげろひた)つ如く*1兩眼の流光(りうくわう)ちらちらと且つ嬉し()に、聞いて玉はれ露伴樣。妾し幼少(えうせう)より東京(とうきやう)生長(おひたち)父母(ちゝはゝ)まづしからず家計(くらし)ゆたかなるにまかせて、露を(すゝき)頭簪(かんざし)に何ぞ*2と問ひし頃は(てふ)(めで)られ、風を縮緬(ちりめん)*3振袖(ふりそで)(いと)ひし頃は花といつくしまれ、浮世に(たのし)長閑(のどか)なりし年立ち年暮れて冬を送り春を迎ふる度每(たびごと)買つて貰ふ羽子板と共に背丈段々(だん〴〵)と大きうなりしが、十四の秋父樣(とゝさま)(はか)らず(かく)れ玉ひしより悲しさ()(かた)なく、芝居見る(ほか)には泣きたるためし少なき身もひたすらに淚もろくなり、果敢(はか)なき野邊(のべ)一條(ひとすぢ)の煙りを(くわん)じて(のち)は三度の御膳に向ふたびに、父上の平常(つね)坐り玉ひし所むなしく明きて完全(そろひ)たる前齒の一本拔けたる如く、しよんぼりと母樣(はゝさま)ばかり心淋(うらさび)しく箸持つ力も衰へ玉ひたるやうに召上(めしあが)りながら、我が母樣を見て悲しむと同じく母樣も我を(かへり)み玉ひて、御胸(つか)へたるや御飯の量少なく白湯(さゆ)のみいたづらに()して(ひそ)かに(まぶた)(うるほ)ひさし玉ふに我口中(こうちゆう)の者の味いつしか消えて奧齒咬みしめしまゝに開く事(かた)かりし。われそれより自然と垂籠(たれこも)り勝に日を費やし、平素(ひごろ)好きたる三味(しやみ)の色絲()(なら)さんともせず、琴の師匠にも忌中(きちゆう)休課(やすみ)たるまゝ遠ざかりて、母樣が持玉(もちたま)ひし草紙くさ〴〵に()(なづ)み、有る事無き事かきつらねたる册子(さうし)(うち)(かすか)なる(たのし)みをなせしが、(つひ)に癖となりて彼是見盡( みつく)せし(のち)薄雪(うすゆき)*4住吉(すみよし)*5伊勢(いせ)竹取(たけとり)或は求め或は借りて三年の(うち)に解らぬながら源氏(げんじ)狹衣(さごろも)にまで讀み至り、其間(そのあひだ)つく〴〵人情の濃き薄きを考へ世の(さま)眞實(まこと)虛妄(いつはり)を覺え、むかしより男といふ者のあさましく、意一時(こゝろいつとき)なさけ一時、思ひ込み强けれど辛防(しんばう)弱く、逢ふを(よろ)こべど別れを悲しまず、(なま)めかしく(へつら)へるをかしき女を好み、戀を榮華のわざくれ三昧(ざんまい)、犬猫の色美しきを(めづ)る樣に女の髮容(かみかたち)よきを愛る者なるをさとり、(われ)緣もなき男なれど源氏業平(なりひら)の如き(たは)け者を憎く思ふ事深く、嫉妬するにもあらねど其戲け者に迷ひ(こが)れし色々の女どもを齒痒(はがゆ)き馬鹿と心の內に思ひけるが、十八の年母樣もまた(おい)(やまひ)危ふくなり玉ひ、兄弟(きやうだい)もなき身の氣弱く朝に晚に腹中(ふくちゆう)は泣きながら神佛を賴み御介抱申せし甲斐なく、我亡き(のち)は是を見て一生の身の程を知れと行水(ゆくみづ)に散り浮く花を靑貝摺(あをがひず)りせし黑漆(くろぬり)の小箱を(あた)へられしまゝの御往生(ごわうじやう)、悲しともつらしとも言ふ言葉を知らぬ歎き、(やうや)く御葬式(すま)して後、(かの)小箱を開き見れば何時(いつ)の間に(したゝ)(おか)れしやら一通の御書置(おかきおき)、是ほどまでに我を可愛(かはゆ)(おぼ)しめされしありがたさと()づ淚こぼれながら讀み見れば、(あゝ)其時の心持(こゝろもち)今思ひ出しても慄然(ぞつ)とする程、恐しさ口惜(くちをし)さ悲しさ情無さ味氣(あぢき)無さ胸惡さあさましさ心細さ、厭といふ厭な心持(こゝろもち)一時に込上(こみあげ)氷水(こほりみづ)全身に(うち)かけられたる如く又猛火に眉毛燒かるゝ如く冷汗脇の下に湧きて身ぶるひ(とゞ)め得ず、氣も暗く眼も暗くゆら〳〵とゆらぐ玉緖(たまのを)*6絕え果てん(ばか)りなりしが、(それ)より愈々(いよ〳〵)浮世を(いと)ひて。

イヤ御話しの中途ですが其黑漆(くろぬり)の小箱の(うち)(ふみ)(しる)しありし事如何(いか)なればそれほどまでにお前樣を驚ろかせしか。マア御聞きなされ其文に記しありし事をわたくしの口から申すもつらし。(さて)(われ)年は十九の春を迎へて(あだ)更行(ふけゆけ)ば親類のやうに親達と交際(つきあひ)し誰彼、(われ)を嫁にせん(わが)婿を世話せんといひ來るを早くもあさましき人情の(いつは)り、盛りは十年の色、用は一時(いつとき)の財貨にひかれての申し(こみ)(すい)して、一々(いち〳〵)きびしく家の(やつこ)謝絕(ことわら)せ、ひたすら母を慕ひまゐらせ、あはれ此身の朽ちよかし靈魂(たましひ)のみとなりて母樣の御傍(おそば)近く()かんものとあせり、つく〴〵生命(いのち)(をし)からず、世間に何の(たのし)みなく、讀耽(よみふけ)りし數々の草紙も(うち)すてゝ又見ず、男と(かほ)(あは)すさへ忌み嫌ふ樣になりて、蓮葉(はすは)なる下女共が年若く美しき俳優(やくしや)なぞの噂するまで苦々しく覺えければ、自然と自分は髮に油の()(とゞ)めず櫛の齒を入れて( びん)の恰好氣にするまでもなし、ましてや前差(まへざし)*7鼈甲(べつかふ)()の詮議根掛(ねがけ)に鹿の子の色のよしあしなんどは問ひもせず( たゞ)しもせず、紅脂白粉(べにおしろい)はまるで忘れつ、帶に苦勞をせしはむかし下駄に鼻緖を苦勞せしもむかし、羽織の色がどうであらうと着物の取合(とりあはせ)がどうであらうと一切(いつさい)女のたしなみを捨て、おもしろからぬ心中常に淚を(たゝ)へて天地も薄黑く見え花は咲いても(しを)れたる我、鳥は歌ふても默然(もくねん)たる我、皎々(しろ〴〵)と澄む月に(むか)つても濁り水の我には影淸く宿らず、陰々濛々(いん〳〵 もう〳〵)と寐て起きて食ふて少しも何の(わざ)なさず、身をじだらくの吾儘(わがまゝ)にまかし、神を恨み佛を恨み人を恨み天地を恨みて(もだ)え苦しむ一念增長(ぞうぢやう)するばかり、遂には神を憤り佛を憤り、今世(いまのよ)に若し正體(しやうたい)(おは)さば針の先で(つい)てやりたきまでに心逼(こゝろせま)り來りて、道理を見れば何の燈心(とうすみ)の繩張り*8、道理も更に恐しからず、人情を()れば高が氷柱(つらゝ)彩色(さいしき)一時(いつとき)、人情も夢うれしからず、胸中に霜雪(しもゆき)寒く殘りて(むご)らしき觀念絕ゆる(ひま)もなくありしが、或日の事立派なる蝋塗人車(らふぬりぐるま)我家の(かど)に付きて髯鬚(ひげ)うるはしき官員風の男案內を請ふに名刺(なふだ)を見れば何某(なにがし)局長(きよくちやう)奏任(そうにん)一等の御方當世(たうせい)利物(きけもの)と評判ある人なれば、(わが)後見(こうけん)ともなりて家事萬端取り(まか)なひし老僕(をとこ)出でて御用の筋を何ぞと承たまはるに。唐突(だしぬけ)の參上(はなは)だ失禮なれど傳手(つて)の無きまゝ是非なく(たゞ)ちに申し入れます、付かぬ事を御聞き申すが當家の御主人御年頃なるに未だ何方(いづかた)とも緣談の御約束なきや、實は拙者舊藩主の若殿見ぬ戀にあくがれ玉ひて是非にと所望なされ居る譯、と申した計りにては御分りあるまじきが今年の春若殿郊外を散步せられし折或る墓地を通りかゝられ、不圖(ふと)乞食共の話しを聞かるれば、今歸つたあの(むすめ)、器量の美しい(ばか)りか孝心のいぢらしさ見えて母親の墓の前に蹲踞(うずくま)りたるまゝ動き得ず、淚は雨の絕えぬ程(ない)て〳〵、若い身にも似ず、生命(いのち)(をし)からねば早く母樣の御傍(おそば)(ゆき)たしとの述懷、何と今時珍らしい氣立(きだて)の女ではないかと一人が云ふを又一人がひつとつて、貴樣今日(けふ)初めて彼娘(あのむすめ)に氣が付いたか、あれは每月(まいげつ)の事、去年(こぞ)何月(なんがつ)なりしか彼娘(あのむすめ)の母の此處に葬られてから每月(まいげつ)の命日(おこた)る事なく此處に來てあの通りの悲歎、餘所(よそ)で見ても可愛想(かはいさう)なありさま、殊更(ことさら)今日などは顏も大分瘦せて血色も惡し大方(うち)に居ても始終泣いてばかり居る事であらうかとの噂、耳に入るより若殿ゾツとし玉ひて誘はれし淚が一滴、是ぞ戀の水上(みなかみ)思ひの泉、ゆめ〳〵浮きたる御心(おこゝろ)にあらず、戀が()せし探索其後(そののち)御名前御住所まで何時(いつ)の間にか聞き知り玉ひ、ます〳〵(こが)れて遂に父上の許しを乞はれ、父君の御依賴によりて兎も角も拙者(なか)にたち周旋の勞を取るべく今日(こんにち)態々(わざ〳〵)參上したり、內々(ない〳〵)承たまはれば未だ何方(いづかた)とも御緣談きまりたるにもあらぬよし、何と此話し能々(よく〳〵)御考へ下さるまいか、媒人口(なかうどぐち)たゝくではなけれど拙者舊藩主の御嫡子(おちやくし)爵位(しやくゐ)財產(ざいさん)は世間の沙汰でも御存じなるべし、殊に先年獨乙國(どいつこく)に留學せられて學位まである若殿、華族間にて行末(ゆくすゑ)望みのある方、全く浮きたる(たはむ)れ言大名氣質(かたぎ)の吾儘なる緣談申し入るゝにあらず、四民同等の今日(じつ)以て後々(のち〳〵)は侯爵夫人と我等もあがめ申すべき所存、戀のはじまりの次第を考へられても成るべくは色よきお返事を玉はりたし。とて歸りたる(のち)老僕(をとこ)は躍り上りて喜び、平常(つね)皺びたる顏の其時は光りをなし我に向ひて緣組承知せよと說きすゝむるに、我一度はやんごとなき人に(こは)れたりと聞きてカツと上氣し、又一度は是も男の例の一時(いちじ)の熱、やがては()める色好みの心(いや)しと蔑視(さげす)み、又一度は母の遺書(かきおき)思ひ出して(たちま)ち身ぶるひ生じ、厭、々、々、々、緣談など聞く耳もたずと强く云へば老僕(をとこ)は驚き、是ほど結構な緣談いやと云はるゝは片腹痛しと()をせめ言葉を(つく)して我を(いさ)むれど少しも動かねば是非なく謝絕(ことわり)申して、情知らぬ者とも蔭言(かげごと)さるゝを厭はざりし。されども我(その)時より何となく二心(ふたごゝろ)になりて然程(さほど)むごくは男を嫌はず、むごかりし心いつしか和らぎて髮かたちをも(をさ)むるやうになりしが、三月(みつき)ほど()て又(かの)何某(なにがし)局長見えられ、(わが)後見に向ひて。(すぎ)し日の話し(まと)まらぬ以來、流石(さすが)活潑に聰明に渡らせ玉ひし若殿御動靜(ごやうす)ガラリと變り玉ひ、外出(そとで)もし玉はず書見もし玉はで、花にも月にも嗟嘆(さたん)御聲(おんこゑ)ばかり、望みは絕えし此世に、絕えぬ玉の緖のあるは悲しき事の限りぞ、あるに甲斐なき生命(いのち)()が爲にかながらへん、などゝ(かこ)ち玉ひて次第々々に三度の御食(おんしよく)すゝまず、晝はうと〳〵眠り玉ひて夜は寢難(いねがて)輾轉(ふし)玉ふ、あはれとは是なりと思ひて御付(おつき)の者慰さめまゐらせ、(おろか)とはそれなりとさとして父君叱り玉へど、唯々()なば()ぬべし露の身の散りなば人のあはれとや見ん、つれなき人はつれなからで、(うと)まれし我こそうとましけれ、とく〳〵捨てばや生命(いのち)朝夕(てうせき)の獨り言、聞かれて母君の()へ玉はず再度(ふたゝび)拙者を召して此御使ひ、何卒(なにとぞ)よろしく御推諒(ごすいりやう)ありて御不足の(かど)あらば御遠慮なく申さるべし、一々(いち〳〵)御指揮(おさしづ)に隨ひ申すべければ此戀成就する樣、と(じやう)を盡し道理を責めての話し。其時我ふすま越しに聞いて思はず泣きしが、老僕(をとこ)が我に向ひて返事相談する時には又(かの)母上が殘し玉ひし書置(かきおき)の事思ひ出して唯々つれなく、緣を結ぶは厭なりと云ひ切つて數多(あまた)の人に憎まるゝを(かま)はざりし、此度は最早(もはや)思ひ切つて(きた)るまじと思ひしに又一月(ひとつき)ほどたち、彼人(かのひと)來りて。若殿(つひ)に浮世をあぢきなく思はれしあまりうつら〳〵と病ひの床に打臥され其後(そののち)御枕上らず、療治の詮方(せんかた)もなく父君母君今は共に最愛の御嫡子に(ひか)されて心よわく、共に御心配のありさま餘所(よそ)に見るさへ痛まし、願はくは思ひ返してよき返事(きか)せ玉ふやうとりなし玉はれ、是は若殿御病床の中にて書捨(かきす)てられし反故(ほご)ながら戀の切なる事あらはれて隱れず、せめては是をだに見せまゐらせて少しはあはれを()まるゝたよりともなれかしと持て參りしなり、又是は若殿いまだ御病氣になり玉はざりし前の寫眞なるが是も(あは)せてまゐらすべし、御返事は明日(あす)また伺ひに上るべし、且は又其折(そのをり)御返事は如何(いか)にもあれ、若殿が生命(いのち)かけてまで(こが)れし方の寫眞一枚玉はりたしと云殘(いひのこ)して歸りければ、老僕(をとこ)又我に色々說諭(せつゆ)し、是非に此緣結ばれよ、淺からぬ因緣なるべしなど泣いて勸むれど我剛情に承知せねば少しは怒りて立去(たちさ)りしあとに殘せる寫眞、見るに氣高く美しき御顏(おんかほ)ばせ、いとしさも生じたるばかりか短册(たんざく)に筆も步み(すこやか)ならずして

(とぼ )し火も暗うなりゆく夜半(よは)(とこ)
こゝろきえ〴〵君をしぞ思ふ

と覺束なく(しる)されたるを見て(わが)魂魄(たましひ)もゆら〳〵となりしが、母君の遺書(かきおき)思ひ出して又かゝる貴人(きにん)に近づくべきにもあらずと、翌日も(むご)く返事させ寫眞も送らず、かくて十日(とをか)程過ぎて吾家(わがや)(かど)に慌だゝしく車を寄せて彼官員(まろ)ぶが如く()せ入り、眼付さへ常とは變りて淚ぐみながら。つれなき此處(こゝ)(こは)れ人め、今日は是非々々兎角(とかく)の返事に及ばず邸第(やしき)まで來られよ、若殿御生命(おいのち)今宵(こよひ)(すご)さずと醫師の鑑定、父君母君我等までの歎き察しても玉はれ、殊に今朝若殿の口ずさまれし一首

厭はれし身はうきものと知りながら
尙捨てがたき……

(あと)の一句を殘して血を吐かれし御ありさま、肺病(やまひ)もつまりは戀故(こひゆゑ)、よしや女は鬼なりと箇程(かほど)まで思はれてまだつらく當るべきや、と半分は恨み半分は怒りて我を引立(ひきた)()かんとするに、我は又身を切らるゝより切なけれど愈々(いよ〳〵)剛情に()かじといふ、折しも(また)車の音して御付の人を(あと)になし*9容儀(ようぎ)繕ろひ玉ふこともなく()せ入られし上品の夫人、氣も半亂(はんらん)に。お妙さまとはあなたか、我が子が今臨終の(きは)、一目おまへ樣を見たしと()かぬ舌を無理に動かしての望み、此通り手を合はせて願ひます是非に來てと侯爵夫人ともいはるゝ(たふ)とき人に(をが)まれて、心は洪水に漂よはされたるごとくうろ〳〵するを無理に引立(ひきた)てられ、車の上も夢路をたどるやうにて立派なる御邸(おやしき)の中に()れば、人々聲を限りに呼ぶ響き、()切々(せつ〳〵)(かなし)み泣く女の聲も聞ゆるに、夫人は慌てゝ幾間か通り(すぎ)玉へば、我も(けぶり)にまかれて*10其跡に(つい)て病室に()りける。見るに瘦枯(やせが)れ玉ひたる御ありさま、今とりつめて(あやふ)かりしを呼び(いけ)られて母君の(かほ)見玉ひ、さめ〴〵と泣かるゝ痛はしさ、是も誰故、我故、と思へば沒體(もつたい)なく消えも入りたきを夫人に()(いだ)されて若殿の御側(おそば)近く參り、我を忘れて淚つゝみ切れず御手(おて)を取りしまゝ何の理由(わけ)とは知らず泣伏(なきふ)せば、若殿も淚ながら我を見玉ひて御言葉はなく、握られし手に微弱(かよわ)き力を()めて我身に幽玄(かすか)なる働きを與へられたり。其儘我は絕え入りて夢の如くなりしが其後呼生(よびいか)されたれど、若殿は遂に蘇生(よみがへ)らせ玉はず。我は身も世にあられず立歸(たちかへ)りてより(のち)其人をのみ思ひてなまじひに生殘りしを口惜(くちをし)く、ます〳〵天地を恨み(いか)りて狂亂となり、七日( なぬか)()、獨り吾家(わがや)の持佛の前に看經(かんきん)したる時、朦朧(もうろう)とあらはれ玉ひし御姿のあとを(した)ひて脫出(ぬけい)で、何處(いづく)ともしらず迷ひあるく、眼には幻影(まぼろし)をのみ見て實在(じつざい)の物を見ず、あさましく狂うて此山中(やまなか)に我しらず來りしが、(はか)らず道德高き法師に()(たてまつ)り、一念發起して坐禪の(いほ)りを此處に(ひき)むすびしばかり。

(たに)水嵩(みづかさ)增して春を知り、峰の()の葉の(ひるがへ)つて冬を悟る住居(すまひ)閑寂(かんじやく)(うち)群妙(ぐんめう)(くわん)じて(かうべ)(めぐ)らし*11浮世を見れば皆おもしろき人さま〴〵、慘酷(むごか)りし昔時(むかし)の胸の氷(くだ)けて東風(こち)吹く空に絲遊(いとゆふ)*12のあるかなきかの身もおもしろく、佛も可愛(かはゆ)く凡夫も可愛(かはゆ)くお前樣も(まこと)可愛(かはゆ)し、天地に一つも憎きものなく、()()に巢くふ鳥も可愛(かはゆ)く、土に穴する狐も可愛(かはゆ)し、心華(しんげ)開發して十方世界(じつぱうせかい)*13(かん)ばしく、おもしろき唯識(ゆいしき)*14の妙理(あぢは)ひ更に(こまか)く、泥水(でいすい)相分(あひわか)れて淸淨(せいじやう)に澄めば天上の月宿る瓔珞經(やうらくきやう)のおもむきもまた愈々(いよ〳〵)面白し、我をあはれと人が云ふもおもしろく我を厭よといふもをかし、お前樣を可愛(かはい)と思うたればこそ抱いて寐てといひしに厭がられしは愈々(いよ〳〵)をかし、昔時(むかし)は我死ぬほど人に戀はれてもつらくあたり、今は我死ぬほど人に厭がられても可愛(かはゆ)し、一心の變化(へんくわ)同じ天地を恨みもし樂みもすることをかしけれと長々しく語りつくせど、我*15更に其故を悟らず。もし〳〵お妙さま其話しの中の骨となりし行水(ゆくみづ)に散り浮く花の靑貝摺(あをがひずり)せし黑塗の小箱の中の書置は何事なりしか、其を聞かでは話し分らず。ハテ野暮らしい其を聞く樣では貴君(あなた)もまだ人情しらず、其書置讀んで後(むご)くなりしといへば云はずと知れし事、世を捨てよといふ敎訓(をしへ)、浮世を捨てねばならぬ譯をかきしるせしに(きま)つた事。()しからぬ事浮世を捨てねばならぬ譯なし。イヤ〳〵妾等一類(いちるい)の人間是非(ぜひ)とも浮世を捨てねばならず、浮世を捨てねば安心の道おぼつかなし、さればこそ(はじめ)は神をも佛をも恨みし(なり)(さて)も分らぬ話。イエ〳〵()く分かつた話、深山(みやま)の中にのたれ(じに)せずばならぬ妾等の身の上、浮世の人は(まなこ)くらく、種々(しゆ〴 〵)のあはれを悟りながら、(なさけ)なき妾等の身の上には月日も全く暗く花鳥(はなとり)も全くおもしろからぬを知らず、されば(かの)若殿に我身を早く任せざりしも若殿の子孫をして(わが)如くあさましからしめざらんとの眞實(まこと)の心、其時の苦しさ推量したまへと沈みたる調子に答へながら急に語氣を變へて、ホヽホヽおもしろからぬ長話最早(もはや)やめに致しませう、言ふもうるさく語るも()きじ、戀と恨みは隣り同志、これまで〳〵これまでなりや繰言(くりごと)もと云ひさして又(ほた)を添ゆる容顏(かんばせ)美麗(うるはし)さ、水晶(すいしやう)屈原(くつげん)()めたる色ならで瑪瑙(めなう)淵明(えんめい)()へるがごときありさまなり。(やが)て又かすかに我を見て、あら本意(ほい)なき*16夜の短うて可惜(あたら)明放(あけはな)れなば假初(かりそめ)ながらの緣も是まで、君は片科川に浮く花、()は急流に伴つて十里を飛ぶ(すみ)やかに、我は其川の岸に立つ柳、影は水底(みなそこ)に沈んで一步を(ゆる)ぎ難し*17()うての喜び別離(わかれ)のつらさ(たは)けし戀の後朝(きぬ〴〵)ばかりにはあらず。といふ時しもあれ、朝日紅々( あか〳〵 )とさし(のぼ)りて家も人も雲霧(くもきり)と消え、枯れ殘りたる去歲(こぞ)萱薄(かやすゝき)の中に雪沓の紐續(ひもつな)ぎかけしまゝ我たゞ一人にして足下(あしもと)白髑髏(はくどくろ)一つ。

さても昨夜(ゆふべ)法外(はふぐわい)の小說を野宿の(とぎ)として面白かりし、例令(たとへ)言葉は無くとも吾伽(わがとぎ)を爲せし髑髏(どくろ)是故にこそ淋しからざりし、是も亦有緣(うえん)の亡者、形の小さきは必らず女なるべし、女の身にて此處にのたれ(じに)、弔ふ人さへ無きはあはれ深しと其髑髏を()(をさ)め、合掌して南無阿彌陀佛(なむあみだぶつ)南無阿彌陀佛、お蔭さまで昨夜(ゆふべ)は面白うござりました。と禮をのべ、段々(だん〴 〵)川邊を小川村に()溫泉宿(ゆやど)に入りて、此山奧に入りしまゝ出て()ざりし人なかりしやと問へば亭主けゞん顏して(しばら)く考へ。不思議の事を問はるゝものかな、オヽ去年(こぞ)の事なりしが乞食の女あさましく狂ひ〳〵て山深くの(かた)()りし事ありしが日光(につくわう)の方へは行かざりしよし、何處(いづく)へ行きしかと今に其噂あり、それを尋ねらるゝかと云ふに。それ〳〵其女の樣子知るだけ詳しく語れと(せま)れば老父(おやぢ)苦い顏して我をジロ〴〵見ながら。年は大凡(おほよそ)二十七八、何處(どこ)の者とも分らず、色目も見えぬほど汚れ垢付(あかつき)たる襤褸(ぼろ)を纏ひ破れ笠を負ひ掛け足には履物もなく竹の杖によわ〳〵とすがり、(はな)すさへ忌はしきありさま總身(そうしん)の色黑赤く、處々(しよ〳〵)に紫がゝりて怪しく光りあり、手足の指生姜(しやうが)の根のやうに(かゞ)みて(すぢ)もなきまで(ふく)れ、殊更左の足の指は(わづか)に三本だけ殘り其一本の太さ常の人の二本ぶりありて其續きむつくりと(かふ)までふくだみ、右の足は拇指(おやゆび)の失せし痕かすかに見え、右の手の小指骨もなき如く柔らかさうに縮みながら水を持つて氣味あしく大きなる(かひこ)のやうなり、左の手は指あらかた落ちて拳頭(こぶし)づんぐりと丸く、顏は愈々(いよ〳〵)恐ろしく(あかゞね)の獅子半ば()ろけたるに似て眉の毛(こと〴 〵)く脫け、額一體(いつたい)(たか)く張り出して處々(しよ〳〵)(くぼ)みたる穴あり、其穴の所の色は褪めたる紫の上に溝泥(どぶどろ)を薄くなすり付けたるよりまだ〳〵汚なく、黃色を帶びて鼠色(ねずみ)牡蠣(かき)の腐りて流るゝ如き膿汁ジク〴〵と(あふ)れ、其膿汁(うみ)(おほ)はれぬ所は赤子の舌の如き紅き肉(むご)らしく(あら)はれ、鼻柱()(くえ)其處(そこ)にも膿汁をしたゝか(たゝ)へ、上唇(うはくちびる)とろけ去りて(まばら)なる齒の黃ばみたると瘦せ白みたる齒齦(はぐき)(たがひ)に照り合ひてすさまじく暴露(あらは)れ、口の右の(はう)段々と(たゞ)れ流れたるより頬の(なかば)まで(ひき)さけて奧齒人を(にら)まゆる樣に見え透き、髮の毛(すべ)()ければ朱塗の賓頭廬(びんづる)*18幾年か擦り(なで)られて減りたる如く妙に光りを放ち、今にも(つひ)え破れんとする熟柿(じゆくし)の如く艷やかなるそれさへ見るにいぶせきに右の眼腐り(すた)りて是にも膿汁(なほ)乾かず、左の眼の下瞼(したまぶた)まくれて血の筋あり〳〵と紅く見ゆる程裏がへり、白眼黃色く灰色に曇り黑眼は薄鳶色(うすとびいろ)にどんよりとして眼球(めだま)なかば飛び出で、人をも神をも佛をも逆目(さかめ)に睨む瞳子(ひとみ)急には動かさず、時々ホツと()く息に滿腔(まんこう)の毒を()くかと覺えて犬も鳥も逃避(にげさけ)ける、(まし)て人間は一目見るより胸あしくなり、其あしき(にほひ)を飯食ふ折に思ひ出しては味噌汁を(うま)くは吸ひ得ず、膿汁を思ひ出しては珍重せし鹽辛(しほから)を捨てける。されば誰も彼も握り飯與ふる(だけ)の慈悲もせず其女の爲す(まゝ)に任せしに彼呂律(りよりつ)たしかならぬ歌のやうなる者あはれに(うな)るを聞けば世に捨てられて世を捨てゝ、叱々(しつ〳〵)覺束(おぼつか)なく細々(ほそ〴 〵)と繰り返しては(いきだ)はしく、ハツタと空を睨みて竹杖(たけづゑ)ふりあげ道傍(みちばた)の石とも云はず樹とも云はず(うち)たゝきては狂ひ廻り、狂ひ(はね)ては(うち)たゝき瞋恚(しんい)(ほむら)*19に心を燒き、狂ひ狂ひて行衞(ゆくゑ(へ))しれず。 (をはり)

對髑髏の後に書す

莊子(さうし)(しる)せし髑髏(どくろ)は太平樂をぬかせば*20韓湘(かんしやう)(たん)ぜし骷髏(ころ)は端唄に歌はれける*21それは可笑(をかし)きに、小町(こまち)のしやれかうべは眼の療治を公家樣に賴み*22天狗の骸骨は鼻で奇人の鑑定に逢ひたる*23是も洒落たり、我一夜の(とぎ)にせし髑髏はをかしからず洒落ず、無理にをかしく洒落させて不幸者を相手に獨り茶番(ちやばん)、とにもかくにも枯骨(ここつ)に向つて劒欛(けんは)*24()する(あざけ)りはまぬかれざるべし

*1:李商隠の『錦瑟』にある「藍田日暖玉生煙」を想起させる。

*2:よく分からないが、銀色(別の版に「銀薄」とある)の水引き細工で作ったような薄の形の簪を挿して、伊勢物語の芥川の女のように、初めて見る白玉のような秋露を見て「かれは何ぞ」と問いかけたということかも知れない。

*3:別の版には、「空色縮緬」とある。

*4:薄雪物語。江戸前期の仮名草子。

*5:住吉物語。

*6:命。

*7:女子の髷の前の方にさす簪。後挿、中挿に対していう。

*8:役に立たないことの喩え。

*9:訪問の際は付人を先に立てるのが普通。

*10:茫然として戸惑いながら。

*11:見方を変えて。

*12:陽炎のこと。

*13:すべての方角に無限に存在する世界の全部。

*14:あらゆる事柄を心の要素に還元して考える仏教の基本思想の一つ。心は、前五識(五感覚)と自意識という表面心だけでなく、潜在的自己愛の末那識(まなしき)と深層の阿頼耶識(あらやしき)の八識の相互作用として重層的に捉えられる。

*15:露伴を指す。

*16:不本意にも。

*17:与謝蕪村六十二歳の作『澱河歌(でんがか)』の引用。「君は水上の梅のごとし花、水に浮(うかん)で去(さる)こと急(すみや)カ也、妾(せふ)は江頭の柳のごとし影、水に沈(しづん)でしたがふことあたはず」

*18:釈迦の弟子、賓頭盧尊(びんづるそん)。通称「おびんづる様」と呼ばれ、堂の前に置かれている 「なで仏」として、病んでいる頭などの部位をなでれば除病の功徳があるとされる。

*19:燃え上がる炎のような激しい怒り、憎しみ、または恨み。

*20:『荘子』至楽篇第十八。

*21:清代の『新鐫韓湘子度文公嘆骷髏傳』。雙紅堂文庫全文影像資料庫

*22:鴨長明『無名抄』などにある小町髑髏伝説。「秋風の吹くにつけてもあなめ/\」

*23:平賀源内『天狗髑髏鑒定緣起』。

*24:刀のつか。