ロバート・キャンベル編の『Jブンガク』に出てくる『薄雪物語』の一節を読んでから、いつか全部読みたいと思っている。ここに出てくる文字詞は、
御はもじ(さ): 恥ずかしい(こと)
御いもじ(さ): いとしい(こと)
御ゆもじ: ゆかしいこと
そもじ様: 其方様
御見(ごけん)もじ:「おめもじ」とおなじ
である。たぶん、共通テストにはでない。
なお、「二人の親」とは「両親」のことであろう。二番目の歌は『伊勢物語』の第十一段にも出てくる。
仰せのごとく、過し世はなれ〳〵しき御言の葉、さて〳〵御はもじさにて候。誠に他念なく御いもじさ、中々かりそめぶりに見え參らせ、今さら思ひのたねとなり參らせ候。七夕の契りとはあふ夜の數少なく共、二葉の松の千代かけて、たがひにへだてなく變らぬ色との御事にや。ともかくも此上は力なし。二人の親の見給はぬやうにと、恥ぢ入參らせ候。肌へをなにとなふ御身のたはぶれにうちなぶき、うつゝなうなよたけの風情にて、臥しみだれ參らせ候。くれ〴〵御はもじにて候。御いもじとも御ゆもじとも、さらに何の心も知り候はぬわが身に、そもじ樣の御たはぶれにより、思ひのたねとなり、今さらなかだちをうらみ入るばかりにて御いり候。うらめしのうき世やな。添はぬ昔は思ひあり、逢ふての今はいよ〳〵深き思ひぐさの、御はもじながら、
なか〳〵になれてくやしき新枕夕な〳〵に思ひ增すかな
忘るなよほどは雲居に成ぬともそらゆく月のめぐりあふまで
どなたもおなじ御心にて候。御見もじの時、申しまゐらせ候べく候。かしく。
※ 「思ひぐさ」については記事を書いたことがある。