蓮實重彥の『反=日本語論』を読んだ者ならば、だれもが覚えているだろう一節。それは、藤枝静男の短篇『土中の庭』について書かれたものである。
「金剛石も磨かずば/珠の光は添わざらん」の二行を冒頭に持つ御歌を小学校時代に女の先生から習って、地久節の日に合唱していた (中略) 主人公である章は、「珠の光は……」の「たま」を「金玉のことであると一人合点で思いこんでいた」。そこである日、少年章は「父ちゃん、なぜ女が金玉を磨くだかえ」と訊ね、父親から「なによ馬鹿を言うだ」とさとされる。
蓮實さんは他にも「道普請の工夫さん」が西洋料理屋「ミシブチン」で働く「コックさん」になったり『蛍の光』の「明けてぞ今朝は / 別れ行く」が「ゾケサ」になったりする例を挙げている。
このように懐かしく思い出される例は、いくつもあるのであって、『仰げば尊し』の「オモへバイトトシ」「イマコソワカレメ」、『君が代』の「サザレイシノイハホトナリテ」、 『早春賦』の「アヤニク」、『故郷』の「ウサギオヒシ」、『からたちの花』の「マロイマロイキンノタマ」などはすぐに思いだされる。
もしかすると古文を読むのは、不思議な音の響きが意味よりも先に入ってきた子供の頃を現在へとり戻したいためなのかもしれない。
※ 『金剛石』は昭憲皇太后の御歌であり、作曲は『君が代』とおなじ奥好義 (おくよしいさ) である。