ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

陥没地帯 (207)

現在, どのくらい丁寧に教えられているかは知らないが, 作図題の「解析」という考え方は, 思わぬときに参考となるかもしれない*1. ここで使われている「解析」は広い意味で「総合」に至る前過程としていわれているもので, 今ではこの意味で「解析」という言葉を使うのは作図のときぐらいだと思う.「解析」とは, 作図題が解決できたものとして (作図不可能なものもあるので, これはあくまで作業仮説である), その求める図形 (たとえば点の位置) が, 与えられた既知の図形とどのような関係にあるかを調べ, そこから作図手段の要諦を発見したり, 求めようとする図形に漏れがないかを調べることである. こう書くと難しいようだが, 例えば方程式をたてるときに, 未知の量であるか既知の量であるかを意識せず, 満たされていなければならない関係式や関数を見い出そうとするようなものである. しかし, 事実は逆なのであって, 幾何学の解析の考え方が代数に応用されたのである.

例として前々回の記事で取り上げた「1 点を通り 1 つの円と 1 本の直線に接する円」の場合を解析してみよう. 下に作図が成立したときの図をあげる. まず,  E, L, J は同一直線上にある. それは,  \triangle KJL \triangle OEL は二等辺三角形で,  KJ OE は平行であることからすぐ言える.  \angle BLE は直角なので, 四角形  LJBC の頂点は同一円周上にある. したがって, 方べきの定理により,

 EL \cdot EJ = EB \cdot EC

が成立する.  A, B, C を通る円と  EA の交点を  G とする. すると方べきの定理から,

 EG \cdot EA = EB \cdot EC

であり, したがって,

 EG \cdot EA = EL \cdot EJ

つまり,  G は求めたい円の円周上の点でもある. 求めたい円の円周が通過する 2 点がわかったので, 作図は既知の「与えられた 2 点を通過し一つの直線または円のどちらかと接する」作図題に帰着する.

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もう一つの場合を下の図をもとに解析する. まず,  K, B,  I は同一直線上にある. それは、 \triangle KBO \triangle KIJ は二等辺三角形で,  BO IJ は平行であることからすぐ言える.  \angle BKE は直角なので, 四角形  KCIE の頂点は同一円周上にある. したがって, 方べきの定理により,

 BK \cdot BI = BE \cdot BC

が成立する.  C, A, E を通る円と  AB の延長線の交点を  G とする. すると方べきの定理から,

 BA \cdot BG = BE \cdot BC

であり, したがって,

 BA \cdot BG = BK \cdot BI

つまり,  G は求めたい円の円周上の点でもある. 求めたい円の円周が通過する 2 点がわかったので, 作図は既知の「与えられた 2 点を通過しひとつの直線または円のどちらかと接する」作図題に帰着する.//

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※ 後は作図の練習. 松山市伊佐爾波神社の算額図から. 最初にある図は明治六 (酉) 年, 当時 11 歳だった高阪金次郎という少年が奉納した問題で中心角 120^\circ の扇形は, 実際の扇に見たてられている. 問題は, 下側の  2 番目に小さい二つの円の半径が与えられたとき, 上側の一番小さい 2 つの円の半径を求めよというものである.

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もちろん, 明治時代にも幾何はあった. 夏目漱石は幾何の成績が非常によく, 『永日小品』では幾何を一年ほど私塾 (江東義塾) で教えていたときの話も出てくる.

中村と自分はこの私塾の教師であった。二人とも月給を五円ずつ貰って、日に二時間ほど教えていた。自分は英語で地理書や幾何学を教えた。幾何の説明をやる時に、どうしてもいっしょになるべき線が、いっしょにならないで困った事がある。ところが込みいった図を、太い線で書いているうちに、その線が二つ、黒板の上で重なり合っていっしょになってくれたのは嬉しかった。

松山の人, 子規は幾何で落第した話が『墨汁一滴』に出てくる. 落第したのを英語のせいにしているのが, どこかしらユーモラスである. 子規は落第したが, 幾何が嫌いでなかったのは文面からよくわかる.

余が落第したのは幾何学に落第したといふよりもむしろ英語に落第したといふ方が適当であらう。それは幾何学の初にあるコンヴアース、オツポジトなどといふ事を英語で言ふのが余には出来なんだのでそのほか二行三行のセンテンスは暗記する事も容易でなかつた位に英語が分らなかつた。落第してからは二度目の復習であるから初のやうにない、よほど分りやすい。コンヴアースやオツポジトを英語でしやべる位は無造作に出来るやうになつたが、惜しい事にはこの時の先生はもう隈本先生ではなく、日本語づくめの平凡な先生であつた。しかしこの落第のために幾何学の初歩が心に会得せられ、従つてこの幾何学の初歩に非常に趣味を感ずるやうになり、それにつづいては、数学は非常に下手でかつ無知識であるけれど試験さへなくば理論を聞くのも面白いであらうといふ考を今に持つて居る。これは隈本先生の御蔭かも知れない。

*1:1910 年生まれの清宮俊雄は, 1999 年末の「随想」と題された文章でこう書いている. 少し長くなるが引用する. 「大学生の論理性の欠如はかなり以前から言われているが, これは日本の学校教育からユークリッド幾何が消えていくにつれてひどくなってきたと私には思える. それは論理的な訓練をする場の減少を意味するからである. 今では中学校でほんのわずか教えるまでになってしまい, 世界的に見て最低のレベルである. 今度の改定で幾何の一部は高校に移されたが高校で継子扱いされることは間違いないと思われる. (中略) 今度の改革で中学校での幾何の程度はまた低下させられたが, 私の考えでは, 程度の低い幾何をやっている限り生徒の興味をひき, やる気を起こさせることは不可能である.  3 年の  1 学期頃まで劣等生だった私が幾何に興味を持つようになったのは取り扱う図形が少し複雑になってからである. 私の経験から言って, 幾何は人間の創造力の育成に最適な教科だと思っているが, 今のように程度の低い幾何では果たして可能かどうか疑わしい. 昔の幾何はかなり程度が高く, 軌跡, 作図などもあった. しかし文科系の人でも代数は嫌いだが, 幾何は好きだという人がかなりいたという. 昔私が民法学者として有名な穂積重遠氏から直接伺った話であるが, 作図問題を解く時の解析の考え方が, 民法の問題を考える上で大変役に立ったということであった. 解析的考え方の重要性については,  3 世紀後半のパップスも強調しているが, これは問題解決に当たっての重要な考え方である.」