ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

陥没地帯 (109)

ジャズ評論家の油井正一が 1950 年代に書いた文章を読んでいて大変驚いたことがある。フランスの社会学者ガブリエル・タルドの『模倣の法則』が引用されていたからである。ちなみにタルドに影響を受けたとしか思えないようなジル・ドゥルーズの『差異と反復』は 1960 年代の書物である。記憶が正しければ、蓮實重彦は東京大学総長であった時代に入学式の式辞で「模倣」を畏怖すべき精緻な思考で深めた二人の人物としてタルドとドゥルーズの名前をあげていた。油井の引用は「模倣」に対する安直な批判を再批判するためのものであり、その点では 90 年代の蓮實重彦の発言とほぼ同じものである。日本を代表するジャズと映画のすぐれた批評家が、20 世紀を代表する複製芸術をそれぞれ極めた結果、ほぼ同じ結論に達している。

ある時期までの 20 世紀の複製芸術で重要なのは、模倣と創造は単純に切り離せないどころか、不可分の関係にあったことだと思う。ある時期までの複製芸術が世界中に国家の枠組みを超えて波及したのは、複製技術が「同一」のものを大量に高速に生み出し拡散する能力——別の言い方をすれば同一性にもとづく単調さで世界を急速に汚染していく能力——だけにもとづくものではなく (当時はその能力は今ほど高くはなかった)、その普及の過程で多様性を生み出し、異なる環境に適応させていくという創造力が程度の違いはあっても働いていたからだと思う。

音楽に限ってごく簡単な例をあげると、『ダイナ』という曲は、戦前の日本に限定しても、50 種類ほどの異なるアレンジが存在していた。その理由としては、いろいろ考えられるが、ひとつは歌詞の「語呂合わせ」のやりやすさというものがあったと思う。もともと英語の歌詞も Dainah, China, Carolina などと音韻を踏んでいたが、中野正晴のものでは「頂戴な」などと駄洒落になっているし、榎本健一のものはダイナを「旦那」と言い換えたりしている。

『ダイナ』(『ダイナー』) は、ディック・ミネの代表曲のひとつでもあり、1934 年 11 月 8 日にテイチク・レコードで B 面の『黒い瞳』とともに吹き込まれ、テイチク創業以来の大ヒットになったそうである (半年で百万枚売れたとしているものもある)。瀬川昌久の本は、この曲でトランペットを吹いている南里文雄の演奏について詳しいが、この演奏の導入部は、ルイ・アームストロングが 1928 年にシカゴで吹き込んだ『ウェスト・エンド・ブルース』のイントロ部分が引用されている。南里がルイの演奏を自分のものにしたのは、昭和 4 年 19 歳のときに上海に渡って、ピアニストのテディ・ウェザーフォードに師事し、彼からコード理論やアドリブ技法を手をとるように教えてもらって帰国し、その後はルイのレコードで勉強したからであるが、その成果が『ダイナ』の短いイントロと最後の素晴らしいソロに織り込まれている*1

普及の過程では、単に同一のものの複製が忠実に、あるいは貧しく、行われるだけでなく、ある種の「創造」が普及の過程で加わって 「変異種」が生まれる。そして、その「変異種」が新たなお手本となり、そこからまた新たな「創造」による「変異種」を生むことで普及に拍車をかけていく。『ダイナ』という曲にもとより深い思想やメッセージなどあるはずがない、よく言えば安心できる曲である。しかし、そこには普及の過程で、もともとの曲には存在していなかったり、潜在でしかなかったものを顕在化していく多数の有名無名の演奏家たちによる「すぐれた解釈」の一回一回の積み重ね、競い合いといったものがあり、曲自体の単調さとは裏腹の豊かな多様性を生み出している。

なお、映画に関しては、蓮實の『映画への不実なる誘い――国籍・演出・歴史』に溝口健二監督と当時 18 歳の山田五十鈴の『マリヤのお雪』*2(1935、第一映画社*3作品) を例にした素晴らしい論考があるので、それを参考にされたい。蓮實は、複製芸術の多様性を生む荒唐無稽な創造力が、国籍の概念をいかにやすやすと崩していくかを具体的に検証している。

*1:瀬川によれば、素晴らしい点は三つあるとのことである。第一はスイングしているリズム感、第二はその和声感。和音進行にあたって先どりした音を奏でることで前向きの方向性をだしている。第三はその音色。ルイを連想させるような明確な高音とともに、各音に抑揚をつけたり、長い音にはヴィヴラートをつけている。

*2: 原作は『乗合馬車』という川口松太郎(当時、第一映画社に在籍)のものであるが、もともとは、モーバッサンの『脂肪の塊』の翻案である。『脂肪の塊』は普仏戦争の話であるが、それを西南戦争の薩摩軍と官軍に、川口松太郎が翻案した。蓮實の精緻な解説によると、ジョン・フォード監督の『駅馬車』(1939) は、『脂肪の塊』ではなく、アーネスト・ヘイコックの『ローズバーグへの馬車』を翻案したものであるが、フォードは、この小説の人物設定が『脂肪の塊』に似ていることが気に入っており、酒場女のクレア・トレヴァーの役を『脂肪の塊』をイメージしながら演出したそうである。蓮實は、更に『脂肪の塊』が原作となった様々な映画を紹介しており、それらはソ連の監督ミハイル・ロムの『脂肪の塊』(1934)、ロバート・ワイズ監督の『マドモワゼル・フィフィ』(1944)、フランスのクリスチャン・ジャック監督の『脂肪の塊』(1945)、香港の朱石鱗監督の『花姑女』(1951)といった作品である。作品最後でグノーの「アヴェ・マリア」が音楽として流れるあたりは、本当にすばらしいシーンで涙が止まらなくなってしまう。フィルムの損傷がとても酷く、デジタル修復が望まれる作品である。

*3:第一映画社は永田雅一の作った会社である。永田は当時日活にいたが、日活からスタッフを引き抜いて 1935 年に第一映画社を創立している。どうも第一映画社は、ライバルだった松竹が裏で出資し、日活を分裂させ弱体化させる目的で設立した会社らしい。永田は、同社が解散する前に泣きながら解散の弁を社員に伝えたといわれているが、それも芝居だったといわれている。第一映画社は 1935 年~36 年の僅か 2 年間しか存在しておらず、その間製作した映画は 20 本程度である。その中に、溝口健二監督作品は、傑作『祇園の姉妹(きょうだい)』(1936)、 『浪華悲歌 (エレジー)』(1936) 以外にも、『お譲お吉』(高島達之監督と共同監督、1935)、『虞美人草』(1935)、『マリヤのお雪』(1935)、『折鶴お千』(1935) がある。なお、第一映画社の作品の中の『初姿』(1936) という作品は、坂根田鶴子という日本初の女性監督による作品である。彼女は、この『マリヤのお雪』でも助監督を務めており、溝口健二がプロポーズしたこともあると言われる。なお、山田五十鈴は 1935 年の『折鶴お千』撮影中に同社の俳優、月田一郎の子供を身ごもって結婚している。