ニホンスイセン。
『アメリカから遠く離れて』で挙げられているリナ・ケティの歌う “J'attendrai” (「待ちましょう」) を聞いた。淡谷のり子が歌っているものもあったので、それも聞いた。
【フランス語】待ちましょう (J'attendrai) (日本語字幕)
J'attendrai (Dino Olivieri:music) 待ちませう Noriko Awaya 淡谷のり子独唱1940年 コロムビアオーケストラ
毎年この時期に聞く、雪村いづみのこの曲。何度聞いてもよいなあ。
雪村いづみ ジングル・ベル・マンボ 1955 / Jingle Bells Mambo
本の中で、キング・ヴィダー 監督の『ビッグ・パレード』(The Big Parade, 1925) の名前が出てきている。弱冠 31 歳でキング・ヴィダーは、淀川長治さんが戦争映画史上のベスト 1 と断言した、この人間愛にあふれた作品を作ってしまう。無声映画史上、空前の大ヒットかつ最も高収益をあげた作品である。製作費は24.5 万ドルで、興行収入は 1985 年の時点で 2,200 万ドルという。当時、一週間で新しい映画が封切られていた時代に、この作品は、ニューヨークのアスター劇場で 2 年間上映され続け、この劇場だけで 150 万ドルを売り上げたという。なぜ、アカデミー賞をもらっていないかというと、それは、まだアカデミー賞は存在していないからである。出演したジョン・ギルバートとルネ・アドレーも、瞬くまにスターダムにあがった。ルネ・アドレーという女優は 1898 年生まれで、フランス、リールのサーカス芸人の娘として生まれたとある。十代の頃は、ヨーロッパ中を興業して廻り、ロシアにもいったことがあるらしい。米国には 1920 年までには来ていることが確認されている。ジョン・ギルバートは 38 歳で亡くなったが、ルネ・アドレーもまた、35 歳で亡くなっている。そして製作者のアーヴィング・タルバーグも 37 歳で亡くなった。
映画の最後の方、戦地から帰郷して家に着いたジョン・ギルバートを出迎える母親が、その視線の先に松葉杖をついて片脚を失った息子を見る。その痛ましい姿を見るたびに、ああ、この男がエルンスト・ルビッチの『私の殺した男』(1932) の冒頭で戦勝マーチを見物する群集の一人として立つんだと思ってしまう。一番最後のルネ・アドレーがチューイン・ガムを伸ばすクロースアップに引き続いて、義足で歩くジョン・ギルバードの姿を斜面の遙か向こうに超ロングで捉え、その相互の距離を二人が廃棄していく演出を見ると、もう嗚咽するしかないわけだが、このあたりの呼吸のすばらしさが、ヴィダーの映画であろう。なお、同年の作品にラオール・ウォルシュの『栄光 』(What Price Glory, 1925)があるが、興行的には『ビッグ・パレード』のほうがヒットした。しかし、ウォルシュの作品も全然ひけをとらない傑作である。