ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

陥没地帯 (97)

ツバキ。

予約していた、瀬川昌久さん (1924 年生れ) と蓮實重彥さん (1936 年生れ) の対談集 『アメリカから遠く離れて』が届いた。最近、この本ほど読みたいと思ったものはない。蓮實さんは、この後、光文社新書から『見るレッスン』というタイトルの新書も予定されているなあ。前に講談社現代新書から山内昌之さんと共著で『われわれはどんな時代を生きているか』を出したことはある。ネットが発達したために近日出版予定の本がすぐに検索できるようになってすぐに注文できるようになったのは大変便利だとは思うが、40 年ほど前からしばらく続いた、東京都内の大型書店をかけずり回って蓮實さんの著書を探したり、今度はいったいどんな雑誌に寄稿するのか、書店に入ったら「ハイファッション」「話の特集」から「現代思想」までかたっ端からパラパラとめくって、突然あのうねうねとした文章が現れたときのうれしさみたいなものは失われてしまったなあ。

『アメリカから遠く離れて』に出てくる「フー (Who?)」をさっそく聞いた。瀬川さんのお母様がレコードを買ってふだんしょっちゅう歌われ、それを子守唄として聞いた兄弟全員が覚えていらっしゃるという曲である。アレンジが服部良一で、川畑文子が歌ったものもあるなあ。


"Who?" (George Olsen, 1925)


フー?(Who?) : 川畑文子

瀬川さんが「素晴らしいバラード」といわれている「風は海から」。このブログでもすでに紹介ずみだが、また聞いた。


渡辺はま子/風は海から

蓮實さんは、戦後、戦前の教科書に墨で黒い線を塗るというのをやらされて、もう教科書というのは絶対に信じないことにしたと冗談めかしていっている。これに反応したのは、自然によく触れないで、教科書や参考書をとおしてしか自然を学ばない子を見て内なる前提を修正することを最近強いられたせいかもしれない。それはともかく、『畏怖の念、謙虚さ、覚醒』でも書いたが、二次的なものではなく、一次的なものに畏怖の念をもってあたり、二次的なものがねじ曲げたり、無視した細部を共鳴させ、覚醒させることこそ批評なんだと考える人らしい発言である。