ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

陥没地帯 (93)

神奈川県央に住んでいる自分にとってもっとも身近な自然はなにかといえば、それは「谷戸」に他ならない。近くの泉の森ももともと谷戸だし、座間市の谷戸山公園は名前からしてそうだ。同じ座間市の芹沢公園もそうだ。藤沢市にはたくさんの谷戸が存在する。藤沢駅から歩いても遠くない新林公園は川名清水谷戸と一体になっているし、藤沢の三大谷戸と呼ばれるその他の石川丸山谷戸や遠藤笹窪谷にも行く。茅ケ崎里山公園も柳谷と呼ばれる谷戸を含んだ公園である。横浜市でも追分市民の森一帯などはそうであろう。鎌倉市にも多くの谷戸が存在している。町田市は東京都だがたとえば駅近くの芹ヶ谷公園なんかにもまだ谷戸の雰囲気が残っている。こうして挙げてみると、散策というと圧倒的に谷戸と呼ばれる場所でしていることが多い。

谷戸の自然は人の「手入れ」が施された二次的自然であり、その維持のために様々な努力が多方面でなされていることは素人の自分にも全部とはとてもいかないが、少し伺い知ることができる。先日行ったばかりの茅ケ崎里山公園について書かれた「茅ケ崎里山公園の市民と行政の協働による生態系管理」*1を読んでみると、草地管理のことが述べられている。そこにはチガヤやススキの草刈りひとつとっても、

1) 草地全域を一度に刈らず、常に刈り残すエリアを確保する。
2) 草を刈る場合にはできるだけ高刈りとする。
3) 茎内に産卵された卵の保護や越冬場所の確保のため、冬季にも枯れた茎が残るようにする。

等の繊細な配慮がなされており、その結果レッドデータの種も含まれるバッタ目の個体数は飛躍的に増加し、カヤネズミの球巣も確認できるようになったとある。

この文章の中で述べられている「多様性を維持する管理」あるいは「多様性の修復」というのは、高度経済成長時代の「ばらつきのない一定の品質を維持する」という管理とはまったく別のパラダイムに属するものであろう。たとえば水田だけを単調に増やしたからといって環境の多様性が増えるわけではなくむしろ低下する場合もあるのであって、高茎湿性草地、低茎湿性草地、水田、開放水面といった多様な環境が注意深く測定、分析されながら適切な速度で配置替えされることで、はじめて湿地での生物多様性を増すことができるのではないかと認識されるようになったと書かれている。

生物多様性ではないが、創造性についてもまったく同じことが言えるかもしれないなあと感じた。