ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

陥没地帯 (70)

『スパイの妻』(2020) をどの劇場でみるかはほとんど選択肢があたえられていないのだが、それでも最近は余程のことがないかぎり東京へゆくことだけは避けたいと思う。このところ山道をよく歩きながら道端にある植物の多様さにいちいち驚いているせいもあるが、その反動で「戦後日本」を代表する極度なまでに画一的で抽象的な人工管理空間がいかに異常な世界かということがよくわかるようになったのである。

それでより我慢ができる映画館の選択として、黒沢清監督の商業映画処女作 *1 が川を渡る映画だったことを思い出しながら、駅から川を渡ってほぼ真っすぐに少しばかり歩けばよい映画館にしたのだった。もちろん映画館にかつて感じていた猥雑な魅力はすでになく、思いがけない多様な出会いを提供する場としての創造性もとうに失われており、それはせいぜい自分にとっての不都合や無用を徹底的に排除しようとする清潔や便利さだけが誇りの都市の人工物のひとつでしかない。

こういった現代の都市に培養されながら人工飼育されることは、感覚や思考力や感性を大幅に麻痺させることだと気づくには、黒沢作品のような映画にそっと触れてみるだけでよい。あるいは、黒沢清監督の前作である『旅のおわり 世界のはじまり』(2019) がそうであったように、日本から遠く離れて生活してみるのもよいだろう。今回の作品の『スパイの妻』(2020) のように別の時代に想いを馳せてみるのもひとつである。あるいは春になればソメイヨシノ以外の桜を見つけて桜の真の美しさに目覚めたっていいだろう*2

蓮實重彦のように「聡子の変貌に戦後日本という名の世界は救われる」なんて格好よくはとても表現できないけれど。

*1:1983 年。もちろん、すでにパロディアス・ユニティの 8 mm 自主映画作品は存在していた。

*2:最近、小林秀雄にソメイヨシノを「一番低級な桜」と断言させた笹部新太郎がモデルになっている水上勉の『櫻守』を読んだので。なお小林が断言した講演の様子はYouTubeで聞くことができる。 http://kazuyoshiimuro.jp/essay/pdf/essay_05.pdf