ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

陥没地帯 (65)

今月の「文學界」は面白いなあ。もちろん購入動機は『スパイの妻』(2020) について 8 月 24 日に行われたとある蓮實重彥、黒沢清、濱口竜介の鼎談をゆっくり読みたかったからである。このブログでも蓮實さんが生まれた 1936 年のことはいろいろ取り上げているが *1、この映画にはその年に録音された小林千代子の『かりそめの恋』が流れているという蓮實さんの指摘があって *2、これは黒沢監督が昔から大好きな曲だということもわかって、それだけで幸福な気分になれた。この『かりそめの恋』は戦後、三條町子が歌ったものとは別曲で、もともとは、蓮實さんが述べておられるようにジェームズ・ホエール監督によるユニバーサル映画『ショーボート』(1936) で使われた曲 “Make Believe” であるが、ヘレン ・モーガンに関する記事で触れたように『ショーボート』は 1927 年にフローレンツ・ジーグフェルド・ジュニアが製作したブロードウェイ・ミュージカルがオリジナルであり*3、もっと古い録音が存在する。ここでは、ポール・ホワイトマン楽団時代のビング・クロスビーのものも挙げておく。


Allan Jones sings Make Believe


Paul Whiteman, Bing Crosby - Make Believe (1928)

鼎談の中で蓮實さんが、路面電車の吊り革が揺れていないとか、路面電車の車掌に当時は女性はいないという指摘があった。つまらない指摘だと思うかもしれないけれども、たとえば、前回の記事で挙げた本居宣長を例にとるならば 、宣長が詠んだ有名な「敷島の歌」にでてくる山桜とソメイヨシノとを同じ桜として混同してしまう (あるいは抽象化してしまう) 薄っぺらな理解 (あるいは違いに対する実感の欠如) がとんでもない勘違いや政治的利用を生んだという「ちょっとの違い」ではかたづけられない歴史的事実もあるのだから、やはり細部は重要である。

蓮實さんといえば、11 月に瀬川昌久さんとの対談をまとめた本も出るそうでこれも楽しみである。『瀬川昌久自撰著作集 1954-2014』にある大谷能生さんも入った鼎談は本当に面白かったし、蓮實さんが『伯爵夫人』を書くきっかけともなったのだった。映画だと小森はるか監督の新作『空に聞く』も楽しみだなあ。あとは DVD でハワード・ホークスの『男性の好きなスポーツ』(1964) が出ていることにまったく気付いておらず、これは必ず見なくては。

同じ号 (ジャズの特集であり、表紙にはビリー・ホリデイの画がある) に掲載されている筒井康隆 (1934 年生まれ) の『ダンシングオールナイト』も面白かった。僕はジャズを少しだけ聞くのだが、筒井さんの引用がだいたいはわかるので少し安心した。その中からアーティ・ショウの『ヴィリア』。「クラッシックからの編曲」とあるのは、『メリー・ウィドウ』の「ヴィリアの歌」の編曲ということであろう。クラッシックの方は、エルンスト・ルビッチ監督の『メリィ・ウィドウ』(1934) でもジャネット・マクドナルドが歌っていた。


"Vilia" (1939) Artie Shaw

*1:簡単にまとめると、小津安二郎がはじめてトーキー作品 (『一人息子』) を作り、第一映画社の溝口健二監督が二十歳前後の山田五十鈴と傑作である『祇園の姉妹』『浪華悲歌』を発表し、やがて中国大陸の戦地へ赴く山中貞雄が 15 歳の原節子で『河内山宗俊』をつくり、来日したオペラ歌手 シャリアピンは歯が悪かったので帝国ホテルで薄切りのステーキ (シャリアピンステーキ) を注文し、21 人の青年将校と 1,400 名あまりの兵士による 2・26 事件がおこって東京市 (世界でもっとも空気が汚い都市と言われていた) に半年たらず戒厳令がひかれ、幻に終わった東京オリンピックの開催が決定し、社会大衆党 (戦後の日本社会党の前身) が翌年の第三党への大躍進へむけて軍と結託しつつ、いきすぎた資本主義を「改革」するという言葉とは裏腹に左翼政党でありながら確実にファシズムへ傾倒していった年である。日本映画の第一次黄金期を代表する年であり、すでにあげたもの以外にも、たとえば、内田吐夢の『人生劇場』、伊丹万作の『赤西蠣太』、島津保次郎の『家族会議』、清水宏の『有りがたうさん』などがあり、マキノ正博にいたっては 25 本以上撮っている。

*2:ビクター 53841。裏面は齋田愛子が橘良江名義で歌った『オールマン・リバー』

*3: 『ショー・ボート』のオリジナル初演は、1927 年 12 月 27 日で、1929 年の 5 月 4 日まで、計 572 回の公演となっている。その後、リバイバルで 1932、46、48、54、83、94 年に公演されている。『ショーボート』の本と作詞は、ほとんどをオスカー・ハマースタイン 2 世が手がけている(“Bill”, “Goodby, My Lady Love”, “After the Ball” は除く)。ハマースタイン 2 世は、『オクラホマ!』(1955)、『南太平洋』(1958、映画公開年度。以下同じ)、『王様と私』(1956)、『サウンド・オブ・ミュージック』(1965、エーデルワイスなど一部の曲の作詞)などを手がけたことでよく知られている。また、作曲の多くはジェローム・カーンであるが、“Goodby, My Lady Love”, “After the Ball” は異なる。 『ショーボート』の映画化は 3 度されており、1929 年はユニバーサル作品で、ハリー・A・ポラード監督。1936 年もユニバーサルでジェイムズ・ホエール監督。1951 年は、MGM でジョージ・シドニー監督。