ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

陥没地帯 (64)

ナンバンギセル。『万葉集』巻 10 の秋の相聞歌 2270 番 (作者未詳) の存在が、この植物を日本で非常に有名にした。

道の辺 (へ) の 尾花 (をばな) が下の 思ひ草 今さらさらに 何をか思はむ

道邊之 乎花我下之 思草 今更尓 何物可将念

この「思ひ草」がどんな草であるかは平安時代末期には特定できなくなっていたようで、藤原定家はそれをリンドウ (竜胆) として、上の歌を踏まえて

霜うづむ 尾花が下の 枯れまより
色めづらしき 花のむらさき

と詠んでいる。その特定できなくなった「思ひ草」をいまでいうナンバンギセルと関連づけて記録したのは本居宣長である (『玉勝間』巻13 「思ひ草」)。

宣長は恋の歌に「尾花が下の思ひ草 」と詠むことがあるのは、すべてこの万葉歌から始まったとしたうえで、名古屋に住んでいた、宣長より 6 歳年長の初期鈴屋門人 (宣長の弟子のこと) で万葉集を専ら研究した田中道麿からの書簡を紹介している。なお『玉勝間』巻 13 が書かれたとき (1801) は、道麿が 61 歳で亡くなってから 17 年が経過している。この文には、松坂地域以外で初めて自分の弟子となった死者への原初的な意味での相聞のようなもの、それと裏返しの挽歌のようなものが、そこはかとなく感じられる。宣長が引用した道麿の書簡文とそれに一緒に付されている植物の図から、今日、該当する植物はナンバンギセル (南蛮煙管) とされている。
※ 実は、宣長が引用している道麿の書簡は、1778 年頃 (すでに尾張和学の筆頭であった道麿が 57 歳で宣長の正式な門人となるのは 1780 年のこと) に成立したと考えられている『万葉集問聞抄』にほぼ同じ記載があるとのことだ。伊勢松坂の宣長と尾張名児屋の道麿の対話は直接会って行われもしたが、おもに往復書簡の文字によってなされ、それはやがて纏められて出版され公にされたのである。この「遠隔教育」は宣長と道麿の間に限った特別なことではなく、賀茂真淵と宣長の間でもすでにそうだった。これは「秘伝口授」がまだ一般的であった時代にかなり画期的なことだと思う。

『万葉集問聞抄』で道麿は、昔からそういう名だったのか、後の世にススキ (尾花) の中に生えることから好事家が歌にちなんで名付けたのかはわからないと断わりながらも、道麿が生きた江戸中期でもススキの中にしか生えない「思草」と呼ばれるものがあって、それは高さ三、四寸、花の色は紫で、秋の末に咲くなどとしている。また、葉はないが、曼珠沙華や夏水仙も花のときは葉がないので別の時期に葉が出てくるのだろうともある。さすがに「思草」がススキ (または他の単子葉植物) の根から栄養をもらう寄生植物で、葉緑体を持たない小さな葉を地中にもつだけで地上葉はいつの時期にも存在しないなんて想像は難しいだろうから、この推定が正しくないとしても無理のないことだと思う。

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ヒヨドリバナ。
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サザンカ。
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