ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

すみれの花咲く頃


小田急線の玉川学園前駅から歩いて町田市の薬師池公園へ行った。そうしたら、またカタクリ (学名: Erythronium japonicum ) を見つけて嬉しくなった。神奈川県では絶滅危惧 1B、東京都は西多摩では準絶滅危惧だがその他の地域では絶滅危惧 ll 類である。本来寒冷な地域の植物であるはずのカタクリにとって、気候の温暖化はその生育環境をどんどん厳しくするばかりだろうが、なんとかこれからも生き残っていって欲しい。


幸いなことに菫の花は、ごく普通にいまでも見ることができる。まさに『すみれの花咲く頃』だなあと思っていたら、ほぼ自動的に小津安二郎監督の『お茶漬の味』 (1952) のシーンを思いだしてしまったのは、自分にとって馴染み深いのは宝塚よりも小津映画の方だからだろう。


(59)すみれの花咲く頃(淡島千景・上原葉子・木暮実千代)

この映画は、誰も驚くことがないということで驚くべき映画である。映画の中で佐分利信は「鈍感さん」という渾名で呼ばれている。その渾名に相応しく、自分一人しかいないはずの真夜中の書斎に、津島恵子が突然立っているのを見てもいささかも驚いた表情をみせない。佐分利信がウルグアイのモンテビデオへと海外赴任したその当日、離陸した飛行機のエンジン不調があって途中で日本へ引き返した彼が自宅にまた舞い戻って玄関に姿をみせたとき、家の家政婦は「旦那様がお帰りになりました」、妻である小暮實千代は「お帰りなさい」と普段とまったく変わらず彼に告げるだけである。その応対に、夫である佐分利信も格別不満そうな様子を見せない。これは、さすがに少々常軌を逸しているのではないだろうかと思ったりもしてしまう。佐分利信が自宅にふたたび戻ることは、観客にも前もって情報として与えられていないのだが、見ている自分もその意外性に驚くことはなかった。というのも、この作品、小津映画には珍しく移動撮影が多く、それまでのシーンで移動撮影が入るとき、いつも結局、佐分利信に関連づけられていることがわかっていたせいである。佐分利信が再び家に戻る前にも、やはり予告のように移動撮影が入っている。それを見て、ああ、佐分利信がここで登場するのだなと了解してしまいあまり驚かなかったのである。

ただ、この映画には、まったく驚くことが存在しないわけではない。映画のラストを見ると夫の佐分利信も、妻の小暮實千代も、生まれて初めて自分の家の台所に入ったらしいことが察せられるのだが、それにはちょっと驚く。さらに、小津安二郎の他の作品を見慣れているものにとっては、『お茶漬の味』に二度出てくる列車のシーンには驚くかもしれない。一度目は、淡島千景、上原葉子、小暮實千代、津島恵子が修善寺温泉に出かけるシーンである——「すみれの花咲く頃」を歌うのは修善寺の旅館である。まだ明るい時分に走行している列車に彼女たちは向いあわせのシートに身を落ち着けたままである。二度目は同伴者なしで、小暮實千代が須磨に向かっている。そこでは、彼女は向いあわせのシートに座ってさえいない。小津の他作品の登場人物たちは、列車の中で決してこのような座り方をしないのである。