ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

梨の花 (2)

志賀直哉の『暗夜行路』にある「サモア」と「アルマ」の無償の運動にはやや劣ると思うが、中野重治の『梨の花』の冒頭にある広告看板を主題連携させるところは面白い。

小学生になった良平が、町の高瀬屋(酒屋であることが後の文章からわかる)から一升徳利をさげて自分の村へ歩いて帰るところである。登場人物を移動させて、その人物と一緒に話者も移動していくのは当たり前の手法であるが、良平が事物に反応し、そこから得られた直感を自分なりに分析したり検証していく過程を話者がつぶさに描写していくので、そこに読み手は同調して引きこまれてしまう。時代設定は日露戦争が終わったぐらいの明治も終盤であるが、すでに地方の町外れにまで複製技術によるメディア (印刷、写真、活動写真など) が具体的に、ときには思いもかけない形で及んでおり、良平はそれに敏感に反応しているところが読んでいてたいへん面白い。

中野は幼い頃からの深い漢文や古典の素養があるわけではないだろうし、外国語の影響を受けた文体でもないだろう。どちらかというと口語を方言も含めて徹底的に肉体化した文体であり、その肉体化の過程自体も綿密に綴られる。文章が浮ついていないし、流行語や片仮名語も安易に使わない。中野の散文が現在読まれているのか読まれていないのか知らないが、非常に参考となる文章だと思う。

ここで町が終わる。そこに川がある。その川ぶちの、「じょっさま」(注: お寺の名前) の背中になる長い板塀にいくつも看板が貼ってある。人の顔の絵のはいったのがそのうちに三つある。

一つは鳥の毛の帽子を冠った八字ひげの人の絵だ。帽子は三角の帽子で、その山型のへりに白い鳥の毛がついている。この人はいかにも色の白そうな顔だ。これは「仁丹」の広告看板だ。

一つは禿あたまで鉄ぶち眼鏡をかけたおんさんの絵だ。この人には、鼻の下、口のまわり、顎からおとがいにかけて束のように大きいひげがある。長い顎ひげはまっくろに縮れている。「仁丹」の人よりもからだも大きそうだ。これは「大学目薬」の広告看板だ。

もう一つのも大きな顎ひげのおんさんだ。これは頭は禿げていない。髪の毛をのばして、長めの角刈りのようにしている。鼻がずっと大きくて高い。ひげも一番大きくて長い。顔をちょっと斜かいにしている。からだは「大学目薬」のよりもっと大きそうだ。これは「ダンロップタイヤ」の広告看板だ。

三つの看板はあちこちにある。いつでも並んでいるとは限らぬが、この三つは良平はよく覚えてしまった。このなかで、「ダンロップタイヤ」のは西洋人ではないかと思う。ただ良平は、西洋人というものをまだ見たことがない。しかし西洋人だろうと思う。良平は「仁丹」は知っている。「大学目薬」も知っている。「大学目薬」は、細い箱にはいった薬そのものを見たことがある。しかし、「ダンロップタイヤ」がわからない。自転車の絵がついているから、自転車に関係のあるものかとも思うが、そこははっきりしない。ダン——ロップ——タイヤ。このダン——ロップというのが良平は好きだ。ダン——ロップと口でいってみる。気持ちいい。三人のうちで、このおんさんが一ばん偉いような気がする。

※ 余談だけど「仁丹」の歴史は面白い。以下が参考になる。
歴史博物館|森下仁丹株式会社