中野重治が23歳、1925年 (大正14年) の詩に「浦島太郎」というのがある。
今宵は雨がふって
ついそこの家ではまた蓄音器をはじめた
童女がはかなげな声をはりあげて「浦島太郎」をうたうのだ
浦島太郎は亀にのり……
乙姫様のお気に入り……
しらがのじじいとなりにけり……
おまえもうたってごらん
そしてこれは誰のことをうたったものか教えてくれ
この詩を理解するには、「浦島太郎」という唱歌は二つあって、中野重治が引用しているのは、現在人口に膾炙していない方の版だということを了解しておく必要がある。
むかしむかし、うらしまは、
こどものなぶる、かめをみて、
あわれとおもい、かいとりて、
ふかきふちへぞ、はなちける。あるひ、おおきな、かめがでて、
「もうしもうし、うらしまさん、
りゅうぐうという、よいところ、
そこへあんない、いたしましょう」うらしまたろうは、かめにのり、
なみのうえやら、うみのそこ、
たい、しび、ひらめ、かつお、さば、
むらがるなかを、わけてゆく。みればおどろく、からもんや、
さんごのはしら、しゃこのやね、
しんじゅやるりで、かざりたて、
よるもかがやく、おくごてん。おとひめさまの、おきにいり、
うらしまたろうは、三ねんを、
りゅうぐうじょうで、くらすうち、
わがやこいしく、なりにけり。かえりてみれば、いえもなし、
これはふしぎと、たまてばこ、
ひらけばしろき、けむがたち、
しらがのじじいと、なりにけり。

- 作者:中野 重治
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1978/12
- メディア: 文庫