ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

時をかける少女


『未来からきた少年 スーパージェッター』は、1965 年 1 月から 1966 年 1 月までテレビ放映されたアニメーションだが、脚本の一人として筒井康隆が参加している。いっぽう、筒井のジュブナイル小説『時をかける少女』は、学研の学習雑誌「中三コース」の1965 年 11 月号から連載開始され、「高一コース」の 1966 年 5 月号まで連載された。つまりこの小説は「スーパージェッター」放映と同時期の作品である。『時をかける少女』には、「未来からきた少年」である「深町一夫 = ケン・ソゴル」が登場するが、ケン・ソゴルは、ジェッターの「タイム・ストッパー」よろしく、ポケットからトランジスタ・ラジオに似た装置を出し、アンテナを引き出し、時間を止めて和子に恋を告白している。薬剤を使って時間と空間をトリップするという設定は、60 年代の LSD の流行とどこかしら繋がっているという気もする。

『時をかける少女』は、小学生のとき市の図書館で借りて読んだ本の一冊として記憶に忘れがたくとどまっており、マスター・テープは失われてしまったらしいが、この本の翻案である NHK の『タイム・トラベラー』(1972) を楽しみに見ていたこともよく覚えている。

ちょっと前の文芸誌で、筒井康隆と蓮實重彦が対談していたが、そこで、蓮實重彦が「お怒りになるかもしれませんが」と断った上で、筒井の作品で一番好きな作品は『時をかける少女』であると言っていたのには共感した。もちろん、その共感は作品の具体的な細部を抹殺してしまうことで共同体に流通する、凡庸な物語イメージについてではなく、日常が非日常へ変貌する物語をいかに有効に語っているか、その細部の描写や形式についてである。

冒頭、「三年の芳山和子」としか書いてないが「高校受験の参考書」が出てくるので、やがて中学三年生であることがわかるこのヒロインがどういう人物であるかは極めて曖昧である。髪型の描写もないし、「小柄なからだ」とあり、たしかに一夫よりは 「10 センチ以上」背が低いともあるが、同級の浅倉吾郎は一夫よりも 「20 センチは低い」とあるのだから、それほど小柄であるとも思えない。つまり、日常どこにでもいそうな女子中学生という設定なのである。

誰でも覚えている放課後の理科室の場面だが、ごくあたり前の学校の日常を「ラベンダーのにおい」ひとつであっという間に異化して忘れがたいものにしてしまう経済的で有効な語り口が素晴らしい。作品の最後には同じ理科室の場面を反復させ空間を異世界へと変貌させてしまう。主な登場人物も 5 人ほどに絞られており、その登場人物の類型から物語の構造は容易に把握できる。

地震のところは、

ドウドウドウとにぶい音がして

という記述で始まっており、ここで庭へ出る和子の服装が「ネグリジェ」であることをまず用意周到に記述し、次の火事場に駆けつける場面では、そのネグリジェの上にトッパー・コートをはおり「つっかけげたをは」いてとあるのだから、非日常を服装で表現していることは明白である。実際、その後、火事場に深町一夫は「パジャマ姿」で現れ、浅倉吾郎は「寝まき」のまま出てくる。さらに一夫がパジャマを着ていたという事実は、この後有効に語りに活用されるであろう。このような細部の描写の有効な連鎖が読んでいて、ああ小説として巧いと思わせるのである。


時をかける少女 (角川文庫)

時をかける少女 (角川文庫)