ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

虎鮫島脱獄

作品の中でオープニング・タイトルを除けば、鮫は出てくるものの「虎鮫島 (Shark Island)」という単語が口にされることも、文字として表示されることも一切ない、ジョン・フォード監督の『虎鮫島脱獄』(The Prisoner of Shark Island, 1936) を見る。

フロリダ半島キー・ウェストの西、およそ 100 km の沖合に位置する珊瑚礁の諸島、「ドライ・トートゥガス」は、泉がなく海亀がいることでその名称をもつようになったそうだが、合衆国第三代大統領の名前にちなんだ「ジェファーソン砦」としても歴史的に知られている。南北戦争の時期には北軍の砦であり捕虜収容所でもあった。この砦にエイブラハム・リンカーン大統領暗殺の共犯者として終身刑の宣告を受けたメリーランド出身のサミュエル・A・マッド医師が民間人ながら収容された史実が、この映画の題材となっている。1865 年 4 月 14 日にワシントン D.C. のフォード劇場でローラ・キーンが主演する 『われらアメリカのいとこ』を舞台脇の桟敷席で観劇中のリンカーンを狙い撃った俳優ジョン・ウィルクス・ブースが逃走中に、マッド医師はかれの脚の骨折の治療を施したことが原因で罪に問われたのである。もっとも、独房の入口にダンテの『神曲』からの引用である「希望を捨てろ、ここから入るすべての者たちよ!」が銘として掲げられているのを見てもわかるように、この作品のストーリーはあくまで史実をもとにした御都合主義の翻案に過ぎない (ダリル・F・ザナックが製作し、脚本はナナリー・ジョンソンである)。

物語は 1865 年 4 月 9 日、つまり、リー将軍が降伏して実質的に南北戦争が終結した日から始まっており、そこでは、リンカーンが楽団に「ディクシー」の演奏を依頼する場面がある (この作品では「ディクシー」はオープニングとエンディングを含んで計四回流れる)。

リンカーンを演じているフランク・マクグリン・シニアは「リンカーン役者」として舞台と映画の両方で著名だった人で、すでに 1915 年のエジソン・フィルムでリンカーンを演じている。

リンカーンの暗殺シーンは全体に素晴らしいが、とくに秀逸なのは、リンカーンを暗殺した後に犯人のブースと共犯者が二頭の馬で濡れた道路を画面奥へ蹄の音高く逃走していく一瞬のショットである。

ワーナー・バクスターが演じるマッド医師を虐待する砦のランキン軍曹を演じているジョン・キャラダイン (記事冒頭の写真) がフォード映画に出演するのは、この作品が初めてになると思うが、全体で一番印象に残る存在感をもった顔であることは間違いないと思う。彼の面長の顔をアップにしたショットが素晴らしい。キャラダインの部下としてフランシス・フォードを、砦の司令官としてハリー・ケリー (ハリー・ケリー・ジュニアの父) を配し、そこにマッド医師を救うために黒人衛生兵として砦に潜入したアーニー・ウィットマンを絡めている配役が、バート・グレノンの撮影もあわせてこの作品を一挙に見ごたえあるものにしている。ウィットマンは『太陽は光り輝く』(1953) で、バンジョーで「ディクシー」を演奏する黒人少年の父親役だった人であり、AFRS (The Armed Forces Radio Service) の黒人兵向け音楽放送 “Jubilee” のホスト役で名前を知られている人でもある。

「なんとかして戻ること」は、まぎれもなくフォード作品に存在している主題である。この作品は、脱獄に失敗し、光も射さない地下牢にまで落とされ食事すら与えられず監禁された男が、妻と子が待つ家へと最後にようやく帰還する物語であることはいうまでもない。他にも少しだけ例をあげれば、『果てなき船路』(1940) ではジョン・ウェインがいかにして故郷のスウェーデンへ無事に戻るかということの困難が語られていた。この作品の直前に作られた『周遊する蒸気船』(1935) では死刑宣告を受けて幽閉された男を絞首台で吊るされる直前に取り戻す話である。インディアンに奪われたデービー (ナタリー・ウッド) を連れ戻す『捜索者』(1956) もそうであった。


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