ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

ブヴァールとペキュシェ

前の記事で、「主題」はネットワーク (「網目」とか「磁場」とかともいう) の非線形性である増幅作用を通じた類似や反復にもとづく意味作用によって、希薄で多様で移ろいやすい「意味」をようやく開示すると書いたが、その同じ仕掛け=装置へ「主題」のかわりに「わかりやすい紋切りイメージ」を流したら、どんな酷いことになるかという視点で書かれたのが、蓮實さんのもう一つの仕事である「物語批判」であり、現在のネット社会の帰結を見こしたような仕事になっていると勝手に整理している。

もっとも、この分野については、すでに多くの人が日常嫌気をさされているので、著作を読んでも、ますます気が滅入るばかりかもしれない。こちらとしても、Twitter のアプリを削除してもうかなりたったが、どうもそれぐらいでは清々しい気分にいっこうになれない。

そのウンザリの中で少し期待しはじめたのは、最近そのメビウスの輪のようなロゴが頭文字の “O” を意匠したものらしいとようやく気がついた小田急線に乗っていると目に入った「偏愛紀行」というネット・サービスの惹句である。これは最近読んだ中で心が洗われるような一番清々しい文章だった。使ったことないけど、「偏愛連帯サービス」だったら素晴らしい。

最近、この種のサービスが増えてきて、やっぱり 「わかりやすさ」で有象無象を大量に集客する 「遍愛サービス」はますます堕落していくだけで、これからは、凡庸人がはたからみると何の意味があるのかわからない「偏愛」を孤独に抱えている人達を連帯させ、その連帯から「主題論的に」新しい普遍的価値をみいだすサービスが増えて欲しいと思う、今日この頃である。

※ 『物語批判序説』でも取り上げられているギュスターヴ・フローベールの『ブヴァールとペキュシェ』の菅谷憲興訳が出た。