この「パンザーニの広告」の画像は懐かしいので取り上げてみることにした。1980 年に朝日出版社から出た『映像の修辞学』(ロラン・バルト著、蓮實重彥・杉本紀子訳) に所収された論文「イメージの修辞学 パンザーニの広告について」で分析されている広告写真である。オリジナルの論文は、バルトによって 1964 年に発表された。
トマトの画像は「トマト」を指していて、網袋の画像は「網袋」を指していて、パスタの袋の画像は「パスタの袋」を指しているというのは四歳ぐらいになるとわかるもので、特別なコードの学習 や訓練 (たとえば漢字を覚えたり、英単語を覚えたりすること) をしなくても理解できるようになるものである。
このコードなしに画像を理解できるという人の能力が、画像は「自然である」という神話に貢献してしまう。実際、パンザーニの広告は様々な人為的「象徴」に充ちているが、その人為性は広告のオブジェが「自然にそこにある」という非知性的了解を受けやすくする。
たとえば、バルトが述べている、自然さを活用しつつ人為的「象徴」をメッセージとして伝えようとしている例は、
- 半分開いた網袋から食料品が拡げられている表現: 買物帰り、そこから製品の新鮮さやそれらを使ってする家事の準備を連想させ、そのイメージは文明の手軽な食料品調達 (缶詰め、冷凍など) に対立する。
- ポスターの配色は「イタリア的なもの」を想起させる。「イタリア的なもの」と「イタリア」は同じであるとはいえない。「〜的なもの」という表現はまさにイメージにふさわしいものである。
- 異なったものをひとまとめにして見せていることで、パンザーニ社はある料理に必要な素材をすべて提供していることを想起させる。
- 写真の構図は静物画を想起させるもので、それは美的なイメージにつながる。
といったようなものである。
なお、すでにこの論文でバルトが、
写真の持つ現実性とはかつてそこにあったのそれである。
と『明るい部屋』と同様のことを書いていることは興味深い。