「フラバー」の記事のところで女優アンナ・リーの名前が出てきたが、日本語の Wikipedia の「アンナ・リー」(Anna Lee) の項目を見ると、彼女がアルフレッド・ヒッチコック監督の『引き裂かれたカーテン』(Torn Curtain, 1966) に出演していることになっている。この間違いについては 2015 年 11 月に最初に気がついたのだが、いまだに訂正されておらず元号が変わっても何の影響もなかった。馬鹿らしいだけなのでもう調べる気はないが、前 (2015 年) にインターネットで調べたときは、半端でない数の日本の映画情報がアンナ・リーをこの作品に出演させていた。あまりにもその数が夥しいので、ことによるとこちらが知らないだけで、『死刑執行人もまた死す』(1943)、『わが谷は緑なりき』(1941)、『アパッチ砦』(1948) などでおなじみのこの女優が実はカメオ出演している幻の『引き裂かれたカーテン』のバージョンが日本国内で密かに流通しているのかもしれないと不安にかられてしまった。
ハワード・ホークス監督は男性と女性の役割を交換してみせる映画を何本か作っているが、この『引き裂かれたカーテン』もちょっとその気がある作品である。というのもポール・ニューマンの裸のシーンが多いし、おまけに彼がシャワーを浴びているシーンまである。グロメグが殺害されるシーンは、キャロリン・コンウェルの独断場で、包丁で男を刺すのは彼女で、ポール・ニューマンはといえば、首を絞められるばかりでほとんど何もしていない。この殺害シーンの演出は本当にすごく、包丁の刃まで折ってみせるのかと思った。男性と女性の交換といえば、最後のバレー・ダンスを観ているシーンでポール・ニューマンが 「火事だ!」と叫ぶシーンだって『知りすぎた男』でドリス・デイがコンサート・ホールで悲鳴をあげたことの役割交換ではないか。
この映画では 2 回、階段の転倒シーンがある。階段に異常なまでの執着を示した監督は世界に二人しかいないそうである。その一人は、階段を画面から隠蔽し続けることで執着を示した小津安二郎であり、もう一人は階段を正面から撮ることに執念を燃やしたアルフレッド・ヒッチコックである。
ヒッチコックの階段への執着は、すでに三作目の英国時代作品『下宿人』(The Lodger, 1927) で登場している。この『下宿人』の主人公はヒッチコック作品の最初の「間違われた男」といってよいが、男が下宿を探して家を訪問したとき、その家の主人が消えたガス灯にコインを入れようとして椅子から転落したのを笑うヒロインを男が初めて認めるところがある。そのとき、やがて男が下宿するだろう部屋のある二階へと通じる階段が真正面から映されており、これがヒッチの現存する英国作品では初めての階段シーンだと思う。