ジョゼフ・L・マンキウィッツ脚本・監督『裸足の伯爵夫人』(The Barefoot Contessa, 1954)。
ロバート・オルドリッチ監督の『悪徳(ビッグ・ナイフ)』(1955) やニコラス・レイ監督の『孤独な場所で』(1950) にもそういった趣きがあるように、この作品はハリウッド映画界の内幕を暴き批判するような題材が扱われている。作品に登場する映画製作者カーク・エドワース(ウォーレン・スティーヴンス)は、ハワード・ヒューズをモデルにしているとされる。
50 年代のこの時期、戦後復興のために本国への回収が凍結されたドルを活用するため、イタリアでの映画製作が増加する。ウィリアム・ディターレ監督の『旅愁』(1950) と同じく、この作品もローマ郊外にあるチネチッタ撮影所で製作されている。作品の脚本も、スペインの貧しい家庭の踊り子であったマリア・バーガス(エヴァ・ガードナー)が、カーク・エドワースが製作する映画の主演女優としてスカウトされ、ローマでキャメラ・テストを受けるという設定になっている。
作品に登場する脚本家でも監督でもあるハリー・ドーズの役をハンフリー・ボガードが演じている。スペインの酒場で、ボガードは、エヴァ・ガードナーが演じるマリア・バーガスに出会う。ボガードがガードナーに自分は「ハリー・ドーズ」であると名乗ると、彼女は、ジーン・ハーロウやキャロル・ロンバードの映画を撮った監督かと聞く。ボガードは、子供の頃から映画を見ているらしいなと言うと、ガードナーは他にも監督の名を知っているわといって、エルンスト・ルビッチ、ヴィクター・フレミング、W・S・ヴァン・ダイク、グレゴリー・ラ・カーヴァの名前を挙げる。
この「生身の」ガードナーがはじめて登場する演出が忘れ難い。そこでは、ボガードがガードナーがいる部屋に入ると、仕切られたカーテンの下に靴を履いた男の足と赤いペディキュアが施された女の裸足を認める。
ボガードは、床に脱ぎ捨てられたパンプスを拾う (この映画で、ボガードはガードナーの靴を計3度、その手に持つことになる)。
ボガードは、手に取ったパンプスを椅子の上に落とすと、その音にカーテンの下の女性の裸足が反応し親指が反る。
ボガードは「セニュリータ、裸足が見えてますよ」と言う。
そこで、さっとカーテンが開いて、(生身の) エヴァ・ガードナーが初めて画面に登場することになる。
ここの、いわば最小から最大へのショットの切り替えの呼吸が、とてもよいのだ。
2度目にボガードが彼女の靴を手にとるのは、彼女の家をボガードが訪問し、戸口の外でガードナーが女優になることを決心するシーンである。ここは詳しい説明を省略するが、この夜のシーンでは、彼女が自分の手を使い微妙な演技をしていて、そこに注目させるため彼女の手に美しいスポット照明があたっているところが印象深い。
3度目は、彼女が夫である伯爵に銃で撃たれて息絶えてしまったシーンである。夫がこときれたガードナーを画面奥のベッドに横たえるが、彼女の足がベットからはみ出しており、靴も履いたままである。ボガードは、彼女の足の位置を直し、靴を脱がせる。そして、ボガードは、手にもっていた彼女の靴をそのまま下へ落とす。しかし、その音に彼女はもはや反応することはない。
冒頭の有名なガードナーが演じるマリア・バーガスの埋葬シーンにおける傘の活用も「最小から最大へ」の原則が使われていることがわかる。