映画 『真夏の夜の夢』(A Midsummer Night's Dream, 1935) はマックス・ラインハルトとウィリアム・ディターレ監督によるワーナー作品である。
全編、キラキラと光っている夜の画面を見ているるだけでも楽しい。撮影はハル・モーア (Hal Mohr) だが、日本語の Wikipedia には、こともあろうに「ハル・ローチ」と著名な喜劇プロデューサーの名前になっていて、そんな明らかなミスですら気がつかないことに呆れてしまう。
この作品を実際に見たものなら絶対に忘れるはずのない、あの夜の森のキラキラと光る感じは、撮影の「ハル・モーア」その人がもたらした。
この映画の森は、ワーナー撮影所の巨大なステージを二つも使って作られたセットだった。そのセットができあがったとき、実際の森を模して作ったものなので、当然のことながら、木の葉は緑で、幹は茶色であったそうである。しかし、そんな森のセットでは、照明をいろいろな角度からうまくあてて撮影することが困難である。しかし、セットのあまりの巨大さと、それにかかった膨大な費用と工数に誰もそのことを言い出せなかったらしい。
前任者から撮影を引き継いだハル・モーアは、150 人くらいのペンキ塗りを集めて、一晩中かけて森のセットを眼が届く限り、アルミ・ペンキと、ワニスで塗りたくらせたそうである。その結果、人間の眼には美しく見えていた森のセットは、安物のクリスマス・カードのようになった。
さらに、そこに特殊効果の担当を呼んできて、綿菓子のような原理で人工的に蜘蛛の糸を作る機械数台で、大量に蜘蛛の糸を作り、それでセットのあらゆるものを覆い、その蜘蛛の糸がまだ柔らかい間に、硝子と雲母の大量の粉末を大型ファンで吹き飛ばして蜘蛛の糸に付着させた。
こうして、あのキラキラと光る夜のシーンができあがった。まず CG に頼ることしか思いつかない現代では信じられない話である。
監督のマックス・ラインハルトは、オーストリア生まれで、20 世紀初頭で、最も著名な舞台演出家である。1905 年にはドイツ劇場の舞台監督に就任しており、ザルツブルグ音楽祭の創始者の一人でもある。つまり、ドイツ圏では、コインにも切手にもその肖像が使われているくらいの人である。大正時代の日本だって、小山内薫をはじめとする人達は、ライハルトが演出した演劇を現地に視察詣をしているのである。
彼はアメリカに招かれて、シェークスピアの『夏の夜の夢』のポピュラー版を舞台化し、それが大成功する(1934 年)。ウィリアム・ディターレは彼の弟子であり、この舞台の映画化をワーナーに認めさせたのは、ディターレだと言われている。マックス・ラインハルトがハリウッド映画に関わったのは、この『真夏の夜の夢』一作のみである。しかし、彼と彼が連れてきたドイツ語圏の才能が、ハリウッド映画に確かな足跡を残したことはいうまでもない。
一方ドイツでは、ラインハルトがユダヤ系であり、音楽が使われているメンデルスゾーンがユダヤ人であるということで、この映画は上映禁止となったのである。しかし、彼等が受けた迫害は、人種差別によるものばかりではない。フリッツ・ラングにしてもそうであったが、米国時代の秀れた作品は商業主義に関わったとして、一様に軽くみられたり不当に無視される執拗な文化差別が長く続いたことは記憶に新しい。
さらに、この映画の舞踊演出には、ブロニスラヴァ・ニジンスカが関わっている。彼女は、ニジンスキーの妹でバレエ『牧神の午後』で兄と共演している。
エーリヒ・ヴォルフガング・コーンゴルトがメンデルスゾーンの『夏の夜の夢』をベースに映画音楽を担当している。彼ももともとは 20 世紀初頭のウィーンで、モーツアルトの再来といわれた音楽の神童である。そして、この作品の音楽の成功により、この当時の映画音楽の覇権を握ることになる。
彼は、オーケストラを使った映画音楽をハリウッドに初めて本格的に導入した。メンデルスゾーンの『夏の夜の夢』の中の『結婚行進曲』なんて当たり前だと思うかもしれないが、当時のアメリカ映画では、当たり前でもなんでもない、創造であった。彼がいなければ、『風と共に去りぬ』(1939) の音楽も『インディ・ジョーンズ』シリーズの音楽も『スター・ウォーズ』シリーズの音楽もなかったかも知れないぐらいの人である。彼の映画音楽は、YouTube で確認できる。その音楽は、今の映画音楽と比較して全く違和感がないことがわかる。
この作品の妖精の透き通った衣装はエロティックでさえある。衣装を担当したのは、マックス・レイ(Max Rée)で彼もまた、ラインハルトの下で、舞台美術や衣装を担当していた。彼は、グレタ・ガルボやリリアン・ギッシュの衣装も担当している。
出生は、1889 年 10 月 7 日でデンマークのコペンハーゲンに生まれた。彼はこの作品に関わった46 歳で実質上引退したらしいが、引退後にも、エドガー・G・ウルマーの『カーネギー・ホール』(1947) の衣装デザインとセットを担当している。ウルマーもまたラインハルトのもとで舞台美術を担当していたので、ウルマーとレイは古くからの知り合いであることは、ほぼ間違いないと思われる。米国で舞台劇として上演されたラインハルト演出の『真夏の夜の夢』に、レイの衣装と巨大な舞台セットが初めて採用されたのは、1934 年の “The Hollywood Ball” での秋公演である。
というわけで、当時のハリウッド映画の実力と、この超一流のスタッフが揃って映画が面白くないわけはなく、実際に偏見なしに素直に画面を見れば、その創意はすぐにわかることであり、これ以上余計な作品の説明はいらないと思う。
なお、この映画、ジョーン・フォンテーンと姉妹であるオリヴィア・デ・ハヴィランドの出世作でもある。彼女はハーミア(Hermia)役で出演している。ロバの頭になってしまうボトムの役はジェームズ・キャグニーが演じ、妖精の女王(ティターニア)はアニタ・ルイーズ、パックの役はミッキー・ルーニーが演じている。
『夏の夜の夢』のエンディングのパックの独白は非常に有名であるが、この作品では台詞の一部を省略していることに注意して欲しい。省略していない独白は以下の通りである (原文に比較的忠実に訳す)。
Puck's Final Monologue
If we shadows have offended,
Think but this, and all is mended,
That you have but slumber'd here
While these visions did appear.
And this weak and idle theme,
No more yielding but a dream,Gentles, do not reprehend:
if you pardon, we will mend:
And, as I am an honest Puck,
If we have unearned luck
Now to 'scape the serpent's tongue,
We will make amends ere long;
Else the Puck a liar call;So, good night unto you all.
Give me your hands, if we be friends,
And Robin shall restore amends.
(試訳)
もし影である我たちの舞台がお気にいらなければ、ただ次のように考えていただければよろしいかと思います。ただここで眠っている間、おかしな夢が現れたのだと。そしてこのくだらない意味もないお話は、夢のようなたわいもない事だと。皆々様どうぞお怒りなきよう: もしお許しがいただけますなら、私どもとしては万事ひと安心でございます。パックは正直者でござれば、もし思いがけず幸運にも、野次を受けますことを免れますならば、きっとすぐにその埋め合わせをさせていただきましょう。さもなければ、このパックを嘘吐きとお呼びくだされ。それでは皆様おやすみなさい。拍手をくだされば幸いです、もしご厚意をいだけますならば。ロビン(パックの別名)は、きっとそのお礼をさせていただきましょう。
※ 映画では、次の 4 行が省略されている。
And, as I am an honest Puck,
If we have unearned luck
Now to 'scape the serpent's tongue,
We will make amends ere long;
※ パックの独白は 2 分 15 秒ぐらいから