ジョン・フォード監督の 1928 年のメロドラマ (原題は “Four Sons”)。どうしたって、これは泣いてしまうなあ ← またしても。作品の最後のところで、ジョン・ウェイン (ラオール・ウォルシュの『ビッグ・トレイル』で主演に大抜擢されるのは 1930 年のこと) までが人の良さそうな警官役でちょいと出ていて、いうことない。でも、これだけだとあんまりなので、何か書こう。
この映画を撮る前に、フォードは作品の準備も兼ねて欧州へ二カ月ほど出かけており、『サンライズ』(1927) を撮り終えて一時的にドイツへ戻っていた F. W. ムルナウと伯林で会う。そこで、ムルナウの作品を上映しながら、ムルナウ自身からどうやって演出したのかを直接教わったそうである。この作品でも『サンライズ』のセットを使っている部分がある (すぐに気がつくのはニューヨークの車が往き交うシーン)。この作品で重要な役割をしている郵便配達夫なんかも、いかにもムルナウ的人物 (『最後の人』(1924) のエミール・ヤニングスを想起させる) で、冒頭からキャメラが移動するし、おまけに不吉な手紙を運ぶときには『 吸血鬼ノスフェラトウ』(1922) のように壁の影まで強調している。
でも、やっぱりフォードはフォードだなあと思うのは、その郵便配達夫が二人の息子の第一次世界大戦での死を告げる黒縁の手紙を夫人 (マーガレット・マン) の元へ届ける辛い役目を果たしたあと、まるで『若き日のリンカーン』(1938) で、次の場面で亡くなってしまう恋人ポーリン・ムーアと一緒にいるヘンリー・フォンダがしたように池になにか投げ込んで水面に波紋がたつところを撮影していることだ。女達が、男ですら、エプロンをしているところも、太い木の幹を画面にあしらうところも、煙が視界を覆うところもやはりフォードである。あとは髪を刈られるシーンの照明は印象的でフランク・ボゼージ の『幸運の星』(1929) のことを思い出した。おまけに、喇叭のところのモンタージュはエイゼンシュタインではないか!シュトロハイムのような軍人もでてくるし、ウォルシュの『栄光』(1926) も彷彿とさせるし、その引用振りはまるで 1928 年のヌーヴェル・ヴァーグ作品のようだ。フォードは『サンライズ』がまだポスト・プロダクション中に、これを超える作品は少なくとも 10 年は出ないだろうと漏らしており、映画のトーキー化へ向けた転換期ということもあって、強い歴史意識が働いているのかもしれない。ムルナウが短い期間に終わったとはいえ米国に滞在したことでハリウッドの巨匠達をはじめとする多くの映画人に深く長期にわたる影響を与えたそのはかりしれない価値、ハリウッド映画そのものにもたらされた prestige に比べれば、彼の作品が米国市場でどれだけ目先の経済的利益をあげたかなど、とるに足らないことである。