ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

果てなき船路


このフォードの作品 『果てなき船路』(The Long Voyage Home, 1940) は、昔はあまり面白いとは思わなかったんだけれど、最近見直しているうちにだんだん面白いと思うようになってきた。

まず、オープニングのクレジット・タイトルにジョン・フォードとグレッグ・トーランドが併記されている。普通、監督のクレジットは独立でおこなわれるもので、撮影監督と一緒だということはかなり特異であるということに、まず気がつかないといけなかった。

ウェルズの『市民ケーン』は 1941 年だからグレッグ・トーランドがこの作品を撮影した 1940 年は、その前年に当たる。

それから、『逃亡者』(1947) の撮影はガブリエル・フィゲロアだが、当初の撮影の想定はグレッグ・トーランドだったようだ。トーランドのスケジュールがつかなくて最終的にフィゲロアになったらしい。

トーランドとフィゲロアの撮影スタイルは、ローキー/ハイコントラストだったり、ローアングルだったり、広角レンズでのパン・フォーカスだったり、表現主義の影響を受けていたりしているなど類似している部分が多い。表現主義の撮影監督カール・フロイントとトーランドは一緒に仕事をしたことがあるし、サミュエル・ゴールドウィンから庇護されていたトーランドは、当時のハリウッドのスタジオ・システムと異なる前衛的な試みがいろいろとやれる自由がある程度あったんだと思う。フィゲロアはトーランドを非常に尊敬して師と仰いでおり、トーランドから強い影響を受けた結果、スタイルが表面的に似てくるのだろう。

広角レンズを使うということは、実際よりも奥行きが出るので、男たちが寝る船室なんかのセットは実際の大きさと同じぐらいのはずである。ローアングルなので、天井が映るが、その天井はかなり低くて、閉鎖的な雰囲気で男たちが鬱屈している様子を醸し出しているのだと思う。また天井のソケットにつけられている電球を直接ひねって灯を付けたり消したりするのが効果をあげている。トーランドはセットによる密閉空間で緻密にライティングを制御して映画的空間を作る人なのだ。したがって、逆に海の描写なんかは、いかにもスクリーン・プロセスという感じで広がりをあまり感じない。フィゲロアの場合は、雲の描写でわかるように、ある程度解放された空間が得意で、同じローアングルでもかたや電球、かたや雲といった違いが出てくる。フィゲロアの場合は自然と人間の融合のようなものを狙っているのだと思う。


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