中井正一の母、千代 (広島出身) は正一を 1900 年 2 月 14 日に大阪の病院で帝王切開によって産んでいる。この当時、帝王切開による出産はまだ一般的ではなく、日本最初とまではいわずとも、施術例としてはほとんど前例がなく母子の安全は大きなリスクがあるとされていて、医者も帝王切開を勧めなかった時代である。
1937 年 11 月 8 日に中井正一らが治安維持法に違反しているとされて検挙されたとき、67 才であった千代は、
「正一が帰るまで白髪一本もふやさずに待つつもりです」
と言い、留置されていた警察の署長から、
「あんたの息子はわけのわからん学者で百年早い」
と言われたときも
「ありがとうございます。学者が百年早いというていただくのは名誉でございます」
と切り返したという。また、署長に対して、こうも言っているそうである。
「正一を責めるなら、私を責めなさい。それがあれには一番つらかろう。それから、正一の日記に『帝王切開』という言葉があったちゅうて、不敬罪じゃいいんさったそうだが、医学の用語もご存知ないのか。私はその医学のおかげで命がけであの子を生んだ。ぢゃけえ、あの子に万が一のことがあったら、まどうてもらいます。財産がのうなろうが、家がつぶれようが、私はかまわん。命がけでまどうてもらいます」
中井正一は後に当時の心境を「雪」という美しいエッセイに残している。