周璇は、李香蘭、原節子と同じ 1920 年生まれの同い年である。以前の英語と日本語の Wikipedia には、周センは 1918 年生まれとあったが、わからないながらも中国語のサイトを複数確認したら 1920 年生まれとあるし、初期の幼さの残る歌声を聞いて 1920 年の方が正しいと思った。どなたかわからないが、日本語の Wikipedia の周璇の記事を最近、全面的にリニューアルして下さって、
その生い立ちをようやくまとまって知ることができる貴重な情報になっていてとても有り難い。それによれば、周璇は 1920 年 8 月 1 日生まれになっていて、以前のものから変更されている (英語の記事は相変わらず 1918 年のままである)。
これも以前書いたが、『馬路天使 』(1937) の監督である 袁牧之は、1909 年生まれで、山中貞雄監督と同じ年に生まれている。山中監督が原節子を起用して、ほぼ同じ時期に『河内山宗俊』(1936) を撮った、つまり日本と中国の同年齢の監督が同年齢の女優を起用して「身売り」が主題の映画をほぼ同時期に作ったのは映画史の奇跡のように思える。
周璇が歌った『天涯歌女』を山口淑子に戻る直前の李香蘭もマキノ正博監督の『野戦軍楽隊』(1944) でゲスト出演して歌っている。この記事はその事実を捕捉しておきたかっただけである。