ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

思い出したこと

ゴダールの映画を見ると、どうしてもゴダールの映画を一番見ていた八十年代の記憶が蘇えってこようとする。しばらく経ってから、神代辰巳監督の『少女娼婦 けものみち』 (1980) で何度も歌われていた新井英一の「カラス」を波が圧倒的な力で迫ってくる海辺のシーン (撮影は姫田真佐久) とともに思い出した。それはおそらく、『彼女について私が知っている二、三の事柄』(1967) のマリナ・ヴラディと結婚していたウラジミール ・ヴィソツキーの歌声がゴダールの新作で引用されていて、新井英一さんがヴィソツキーの曲を歌っていることが結びついたからだろう。新井さんを「発掘」し、『少女娼婦 けものみち』でも、吉村彩子 (この一作でしか記憶がない新人) の相手役を演じていた内田裕也が亡くなったニュースが流れたことも関係あるかもしれない。ゴダールの映画が分からないという人は多いが『少女娼婦 けものみち』だって十分わけの分からない映画であった。

学生になってみた、最初の日活ロマン・ポルノは、前にも触れたことがあるかもしれないが、曽根中生監督の『天使のはらわた 赤い教室』(1979) で同時上映としては、『天使のはらわた 女高生』(曽根中生, 1978)『天使のはらわた 名美』(田中登, 1979)だった。その後は、藤田敏八の『エロスは甘き香り』(1973)、田中登の『女教師』(1977) を見ている。それから、鈴木則文の傑作『エロ将軍と 二十一人の愛妾』(1972)、武田一成の『女の細道 濡れた海峡』(1980)、それで神代監督の作品を初めてみたのが、この『少女娼婦 けもの道』である。当時は感動したと見えて、2 回見た記憶があるし、映画館も新大塚にあった鈴本キネマだったことまで未だに覚えている。それで、神代監督の作品を上映している映画館を探して、次に見たのはこの1年前に作られた『赫い髪の女』(1979) で、撮影は姫田真佐久でなかったがこれにはいたく感激した。その後、傑作『赤線玉の井 抜けられます』(1974) まで見ることができて本当に興奮し、原田美枝子が出演した新作『ミスター・ミセス・ミス・ロンリー』(1980) に期待して映画館に駆けつけたが、この作品にはちょっとがっかりもした。しかし、1981 年の『嗚呼!おんなたち・猥歌』はとてもよかった。

1980 年は、相米慎二が『翔んだカップル』で監督デビューした年であり、大森一樹が『ヒポクラテス』、横山博人が『純』、黒沢清監督が 8 mm の自主映画で『しがらみ学園』を発表した年であり、ようやく日本映画に新しい波が起き始めた年である。その間、日本映画を支えていたのは、間違いなく日活ロマンポルノの監督たちであった。

80 年代初頭は『なんとなくクリスタル』みたいなものやテニスをしないのにラケット持ったり、JJ その他のファッション誌を抱えて歩く女子学生のイメージで語られることが多いが、それは中東湾岸諸国を一括りのイメージでしか語らないというゴダールの批判と同じように間違っている。