今月号の文芸誌「新潮」に蓮實さんが「選ぶことの過酷さについて —濱口竜介監督『寝ても覚めても』論」を発表している。蓮實さんがここまで擁護し煽動するのも久しぶりのような気がする。止むに止まれない理由で未だ映画を見ていない人もいるかもしれないので例によって詳細は書かないけど、今回の論評を読んでいると、ふと蓮實さんの『「私小説」を読む』にある滋賀直哉の『暗夜行路』を論じた『廃棄される偶数』をなんとなく思い出した。絶対に僕には無理だなと思った指摘は、伊藤紗莉が演じる春代の移動シーンにハワード・ホークスの『ヒズ・ガール・フライデー』(1940) のロザリンド・ラッセルを結びつけていることである。ここのシーンだと思う。
もう一本挙げている濡れたタオルを投げるシーンで引用される『脱出』(1944) のシーンは、このブログで該当する蓮實さんの文章を引用済みで、これについてはこちらも想起しえたので『ヒズ・ガール・フライデー』ほどの驚きはなかった。
また、朝子(唐田えり子)の白い生地のブラウスの指摘は、フォード映画の「白いエプロン」の機能について画期的な論評をしたほどの人ならば、そこを見逃すはずがない。