ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

マトリゴールの健診

前回の山口絵理子さんのブログの記事は、健診を行なっているのが、自分がバングラデシュの健診プロジェクトで関係している人たちだということを抜きに大変感心した。バングラデシュでは、日本では当たり前で法令でも義務づけられている工場労働者に対する定期健診はほとんど普及しておらず、マトリゴール (マザーハウス) のように企業従業員の健診費用を全額負担すること自体がもちろん、大変画期的なことだと思うのだが、この文章にはそういうこと以上に胸をうたれる感動があった。

その感動は、今年の始めにも記事『畏怖の念、謙虚さ、覚醒』に書いた感動と同じ種類のものなのだが、ここにはまず一次的な現場そのものへの限りない「愛情」「畏敬の念」が存在する。もしこの文章が、従業員の健診費用を全額負担することを宣伝する段階に留まっているのであれば、それは理念だけは「従業員の健康を重視する」という他の現地企業のような建前だけの「二次的な言説」と同類の印象しか与えないことをまぬがれていなかっただろう。彼女にはそういったものだけには陥いるまいとする「謙虚さ」にもとづく認識が存在している。そしてなによりも感動的なのは、そういった「一般性」「抽象性」を超えて「創造的」であろうとしていることである。つまり、現場にまどろんでいるもろもろの細部を「覚醒させる」ことができる感性がここにはある。

確かに針の威力はみんなの方が熟知している…

本気で、本気で、目の前の女性のスタッフが震えているのだった。

サリーの服は意外とタイトで、一緒にまくってあげないといけなかった。

彼女の背中から手の平までほんとうにカチカチにこわばっていたから。

「創造」というのは、そういった目醒めさせた細部 (それは微小かもしれないが、決してゼロではない。ゼロから有は生まれない) を増殖させ、共鳴させていく荒唐無稽な運動、過程のことに他ならない。実際、彼女は三時間あまりも、女性スタッフひとりひとりの背中に手を当て続け、彼女達の気が注射針から逸れるように別の話題を選んで声をかけ続けたのだと思う。優れた経営者、優れたクリエイターはまた優れた看護師でもあるということが何の矛盾もなく共存しているのだ。