ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

音節のリズム

一般論だけど書くことないので。

 個人的にそう思っているにすぎないのだが、赤ちゃんが言葉を覚え始めて「マーマー」とか「マンマ」とか言い始めるのは偉大な進歩 だと思う。言葉が分節されていることを理解したのだ。 英語のリスニングも、英語の音の分節の仕方が日本語のそれとはかなり異なる強弱のリズムによってされていることを実感したときに、はじめて最初の進歩が始まる(少なくとも自分はそうだった)。「強弱」のリズムは「強」から始まるときもあれば、「弱」から始まるときもある。日本語の「間」 による区切りは、英語にとっては「弱」の一変種にすぎない。

Rain, Rain,
Go away,
Come again,
Another Day

この Nursery Rhyme で、1行目から3行目は強から始まっている。4行目は弱から始まっている。1行目は、強-強ではないかと思うかもしれないが、 それぞれのRain の後には「間」が入ることで「強弱(=pause)強弱(=pause)」が維持される。2行目と3行目もやはり最後に間があくこと で、「強弱強弱(=pause)」が維持される。4行目は「 弱強弱強」である。実際の英語の発音が強と強の時間間隔が「等時的」ということではないが、発話者は明らかにそのリズムにも とづいて発話を行おうとしている。

音が一応強弱のリズムにもとづき塊にわかれて聞こえるようになれば、今度はその塊を音節単位に聴き取らないといけない。音節の中を音として聴き取るためには、日本語とは異なる英語の個々の音に慣れていないといけないのはもちろんであるが、 音節自体に語末の子音があるということで、日本語のモーラとは異なってい る。語末にしばしば存在しない日本語の母音が入ってしまうのは、 語末をいかに聞けていないかという一つの証拠だと思う。聞けていないので、日本語に置き換える作業が始まるのである。語末は「 息の音」のレベルまで丁寧に細心の注意を払って聴く習慣を身につけるしかない。聴力検査をやると語末の子音の誤答が顕著に多く、音素的には /m/, /n/, /p/, /θ/などが特に結果がよくないとう報告例もある。語末には名詞でいえば複数形の情報や、動詞でいえば、過去形か現在分詞などの情報が集中している。また、その直後に弱形の音がリンキングしている場合もある 。語末の /n/ に続く /ð/ はしばしば聞こえないなどの現象も発生する。日本語にはないからこ そ、注意を集中して聴かない限り、「自然に」 聞こえてくるはずがない。

それでも「強」の部分の音節の聴き取りはまだなんとかなるのであるが、壁として残るのが「弱」の部分の聴き取りである。弱く早く発音される「弱」の部分には機能語が多く含まれているわけだ が、その聴き取りはネイティブですら音だけに頼ってしていないと思う。そもそも「弱」の部分を聴いているときに何をイメージして いるのだろうか? 個人的には「文法」というべきものをイメージしている。英語が弱い部分をあんなにぞ んざいに発音することが許されるのは、 その文法が日本語に較べれば、語順や語形の点で遙かにリジッドで あるからである。have の活用形の発音は、曖昧母音一つにまでなり、更に省略されること すらあるが (弱形の発音の仕方はもちろん一通りではない)、それが許されるのは、全部発音しなくても「文法」という解読格子があれば、理解可能だからである。文法よりもリスニングが大事とか発言する人に訊いてみたいのは、言語の体系を学習して自分のものにしていないで、いったいどうやって、弱形の部分をきちんと聴き取ることができるんですか?ということである。「弱形」が聞こえている間にイメージしなければいけないのは、その文全体の「構造」であり、単語の意味のイメージとかであるはずがないと思っているんだが。